明日には良くなる、良くなると思っていた。
   けれど――、やっぱり良くならない。
   僕はこのまま死んでしまうのだろう。学校に通うことも出来ずに――。
「ルディ。具合はどう?」
   母上の声が聞こえる。今は誰とも話をしたくなくて、枕に顔を埋めた。
「具合が良ければ、起きてリビングルームに行きましょう。ね?」
「……いい……。寝てる……」
   声を出すと、喉に取り付けられた人工呼吸器からも息が漏れる。こんな機械、取ってしまいたいとさえ思う。
   取ったら息が出来なくなって死んでしまうけど――。
   こんな身体、嫌いだ――。
「あと少しでロイも帰ってくるわ。ね?少しだけでも……」
   ロイ――。
   ロイが羨ましい。
   けれど羨ましさのあまり、嫉妬してはならないのだとよく言われる。父上に一度酷く叱られたことがあった。
   でも――。
   羨ましい――。
   羨ましくて、口惜しくなるから、今はロイに会いたくない――。
「具合が良くなったら呼びなさい」
   無言で頷き返すと、母上は頬に軽く口付けて部屋を去っていく。





   それは11歳の時のことだった。
   ある朝、身体がだるくて仕方が無くて、起き上がることが出来なかった。その時はまさか深刻な病気だとは思わなかった。ミクラス夫人や母も風邪の引き始めだろうと言っていて、その日はゆっくり身体を休めた。トーレス医師も風邪に違いないから、栄養を取って眠るようにと言っていた。
   しかし、その倦怠感は翌日になっても翌々日になっても治らなかった。風邪にしては発熱することもなく、倦怠感以外の症状は何も無い。何とかベッドから起きても、だるさのあまり起きていられない。異常な症状が数日続いて、検査を受けた結果、風邪ではなく筋萎縮の病気だと判明した。
   それがどんな病気なのか、詳しいことについては教えてくれなかった。だが、トーレス医師も母上も父上も皆が慌てていたから、悪い病気なのだということは解った。

   病気だと判明してから、すぐに治療が開始された。何種類もの薬を飲んだ。あまりに薬が多くて飲みきれなくて、何回かに分けて飲んだ。食事の後は必ずそれを飲まなくてはならなくて、私は嫌で堪らなかった。それでも治すために頑張って飲んだ。辛い注射や点滴にも耐えた。

   しかし――、症状は悪化する一方だった。手足が徐々に動かしづらくなり、身体の自由が利かなくなる。発病して一ヶ月が経つ頃には、自力で歩くことが出来なくなった。トーレス医師の判断で、薬を変えることになった。
   だが今度は、その副作用で物が食べられなくなった。それに、走ってもいないのに息切れがするようになり、鼻から酸素を送りこむ装置が手放せなくなった。その装置は煩わしくて嫌いだった。

   だがそうしてでも、何とか自分で呼吸が出来ていた頃は良い方だった。
   二ヶ月が経とうとしていたある日、起きた時から頭が茫としていたことがあった。苦しいような、しかしそれよりも身体が重くて、起きていられなかった。

   眠り続け、次に眼が覚めた時には、喉に人工呼吸器が装着されていた。自力で呼吸することが出来なくなったため、気道切開の手段を取ったらしい。シューシューと音を放つその機械は、声を出しても其処から息が漏れてくる。
   トーレス医師に外してほしい――と言ったら、医師は首を横に振って、外したら息が出来なくなってしまいます――と返された。
   絶望の淵に立たされた気分だった――。

   起きることも立ち上がることも息をすることさえも、出来ない身体になってしまったことで、死ぬんだな――と漠然と感じ取った。
   呼吸が出来なくなる三日前のことだった。話をすることさえ億劫に感じるようになっていた。後になって考えてみれば、あれも自分で上手く酸素を取り込めなかったからだろう。
   動けなくなってからは、母上やミクラス夫人が車椅子で部屋から外に出してくれ、夜になるまで家族全員の集まるリビングルームで過ごしていた。
   だが、口を開くのもだるくて、そんな状態で家族の輪のなかに居るのが辛くて、部屋に閉じこもるようになった。
   そうして部屋で一人ベッドに寝ていると、無性に悲しくなり、物事を悪い方向に考えてしまうもので――。





   薬も効かないということは、治る見込みも無いのだろう。心臓もそれほど強くないから、きっと次は心臓だ。そして心臓が止まったら終わり――。
   何のために生きてきたのだろう。
   ついこの間、11歳の誕生日を迎えたばかりで、まさか次の誕生日を迎えられないと思わなかった。
   それに――。
   それに、僕はやりたいことを何もしていない。学校にも行かせてもらえなかった。ロイのように友達と遊んだこともない。友達すら居ない――。
   どうして生まれてきたのだろう。
   死ぬために生まれてきたのかな。
   でも――、人はいずれ死ぬものだから――。
   それが悲しいんじゃない。こんなに早く死ぬのが――、何も出来ないままに死ぬのが嫌なだけだ。
   こんな早く死ぬのなら、やりたいことをやらせてほしかった。学校に――、行かせてほしかった。
   ロイのように――。
   ロイのように……。


[2010.4.16]