私に出来る範囲で、私にしか出来ないこと――。
   父上にそう言われた時からずっと考えていた。それは一体何だろう――と。
   私は確かに、皆と同じ土台には乗れない。この身体ではいつか必ず遅れを取る。同期達が経験を積み重ねていくのを、ただ黙って見ていることしか出来ないかもしれない――、今回の療養中、そのことも考えた。だがたとえそうなったとしても、仕事を続けたかった。
   この身体でも、たとえどんなに遅れを取っても、何かをやりたかった。やり遂げたいと思っていた。
   では私に何が出来るだろう――。それをずっと考えたが、未だに明確な答えは得られていない。



「突然、仕事を断ってしまって申し訳ありませんでした」
   ひと月の療養を終えて、上司の許に謝罪に行くと、上司は仕方が無いと言った。
「君の身体のことは採用時から解っていたが……。だが、今回のように突然、ひと月も長期休暇を取られると、此方の仕事も困る」
   ただ謝ることしか出来なかった。私の担当分は全て他に回されており、今日こうして復職したのに私の為すべき仕事は何ひとつ無くなっていた。たったひと月の間に、私は此処で不要な人間となってしまった。
   ――否、そんな風に考えるのは止そう。
   まずはひと月の空白を埋めることが先だ。このひと月に起こった案件を整理して頭にいれておこう――。

   資料の入ったファイルを取って来て、机でそれを読み込んでいく。仕事の依頼は私の許には何ひとつ舞い込んで来なかった。
   昼を過ぎる頃には、それらの資料を全て読み終えていた。次に何をすべきか考えていたところ、電話中の上司が顔色を変え、困惑した表情で、解りました、すぐに取りかかります――と応えた。その様子に、室内の全員が上司を見入った。何か異変が起こったに違いなかった。
   彼は電話を置くと、大変なことが起こった――と言った。
「新ロシアとの貿易協定をフォン・ルクセンブルク家傘下の企業が一方的に破って、新ロシア側に損益を与えたそうだ。大使館が警告文書を送ってきたらしい。フォン・ルクセンブルク家に賠償を求めるのと同時に、帝国側に協定の改訂と謝罪を求めている」
   室内がざわめいた。フォン・ルクセンブルク家ということは皇帝の弟君に関することになる。そして今の話を聞く限り、非はそのフォン・ルクセンブルク家にあることで――。
   誰がその案件を担当するんだよ――と同僚達の囁きが聞こえて来る。失敗が許されないばかりか、相手がフォン・ルクセンブルク家ということで一方的に謝罪を求めることも出来ないのだろう。
   その時、外務長官がやって来た。上司と同様、顔を蒼白にして、上司に担当者は決めたかと問う。いいえ、まだ――と上司が応えると、長官は室内を見渡して言った。

「誰かこの案件を担当出来る者は居ないか」
   この場に居る全員が黙り込む。
   新ロシアと交渉しながら、フォン・ルクセンブルク家に謝罪を求める。
   私に、出来るだろうか――。
   絶対に失敗は出来ない。新ロシアは建国以来、強硬な外交姿勢を貫いている。下手な交渉では戦争という事態も起こりかねない。
   周囲を見渡してみたが、誰もが名乗りを挙げなかった。皆、長官や上司と顔を合わせようとしない。
   私には今、担当中の仕事は無い。この案件を引き受ける充分な時間がある。
   皇弟とも何度か顔を合わせたことがある。温厚な方だった。話の解らない方ではない。
   ならば――。

「私が担当しても宜しいですか?」
   手を挙げて名乗り出る。長官が私を見つめるなか、上司が君は今日復職したばかりではないか――と言った。
「今、担当中の仕事はありません。ですから、この案件のみに集中出来ます。……それに体調も今は何も問題ありません」
「だが……」
「良いだろう。君に担当を任せよう。しかし、交渉決裂となりそうな時にはすぐに担当者を変更し、君にもそれなりの責任を取ってもらう。良いな?」
「はい」
   どのような仕事にも責任はつきものだ。失敗したら責任を取る――それは同時に全権を任されたのと同じことになる。
   周囲がざわめいていた。確かに彼なら、ロートリンゲン家の人間だからフォン・ルクセンブルク家とも対等に話が出来るよな――と囁く者も居た。
   その点で有利であることは否めない。皇弟と面識があるのは、私がロートリンゲン家の人間だからというのは事実だ。皇帝主催のパーティに無条件で出席出来るのは、旧領主層だけなのだから。


「え!? そんな重大な案件を担当したのか?」
   仕事を終え、ロイと共に帰宅の途につきながら、今日のことを話すと、ロイは驚いた顔をした。病み上がりなのに大丈夫か――と心配しながら。
「無理はしないよ」
「新ロシアに損害をもたらしたという話、軍務省にも伝わっているんだぞ。下手をすれば戦争になる――と」
「どれだけ重大なことなのかは解ってる。失敗したら、責任も取らなければならないからな。だから精一杯、出来るだけのことをやるつもりだ」
「皆がやりたがらなかった仕事だろう? だからといってお前が担当することは無いと思うが……」
「何よりも私がやってみたいと思ったんだ。その話を聞いた時に」
   それに少しだけ自信があった。出来るような気がした。
   そしてこの案件を成功出来たら、私は自分の為すべき途を見つけることが出来るのではないか思える。少しでも自分の能力を生かすことが出来るようになるのではないか――と。



   そんなことを思いながら、仕事に取り組んだ。
   皇弟――フォン・ルクセンブルク家当主との面会、そして新ロシア側との交渉――新ロシアとの交渉は何度か平行線の話を辿るうち、妥協点が見えてきて、最終的には双方にとって損益の少ない方法を採ることが出来た。皇弟は自身のフォン・ルクセンブルク家が新ロシアに多額の損益を与えていたことに気付いていなかったらしい。謝罪に同意してくれ、その文書と賠償にも応じてくれた。

   案件を収束させるのにふた月を要したが、平和的解決に至ることが出来た。上司と長官にはその都度報告を行っており、全てが解決したあとで、二人の許に呼び出された。
   其処で、昇進の話を告げられた。
「異例のことではあるが、君を参事官に推薦することにした」
   参事官――、それは本当に異例の昇進だった。参事官となるには、書記官として5年の経験を積まなければならない。私はまだ1年の経歴しかなかった。
「君の場合、身体的な問題があるから、これから先も国外の大使を任命することは出来ない。だから君には、この本部内で主要五ヶ国との交渉を行ってもらいたい」
   それを命じられた時、どれほど嬉しかったか――。
   自分の進む途が開けた――この時、漸く私はそう思えた。

【End】


[2011.4.30]