「ぶつけた?」
   この日、仕事を終えて帰宅すると、フェルディナントが神妙な面持ちをして玄関で出迎えた。
   済みません――とフェルディナントは先に謝った。そして、入庫の際に私の車にぶつけてしまったことを告げたのだった。
「ケスラーによると、掠った傷だと申しておりました。私も玄関におりましたが、衝突音すら聞こえてきませんでしたので……。今、ケスラーが傷を直しているところです」
   フリッツが側から言い添える。何となく状況は掴めた。フェルディナントはまだ車庫入れが下手だから、何処かにぶつけるかもしれないとは予想していたことだった。
「傷ぐらい構わん。それで、入庫出来たのか?」
「いいえ。これ以上、傷を付けてはいけないと思い、ケスラーに任せました」
「そういう時こそ最後まで自力で取り組むことだ。いつまで経っても下手なままだぞ」
   大した傷ではないだろうが、一応車庫に見に行ってくるか――そう考えて、鞄をフリッツに預け、車庫へと向かった。フェルディナントも付いてきた。
   庭の片隅に車庫がある。灯りが点っていた。ケスラーがまだ傷を直しているのだろう。
「旦那様。お帰りなさいませ」
   ケスラーが此方に気付いて立ち上がり一礼する。何処を傷付けたのだ――と問うと、一点をケスラーは指し示した。
「此方を少し掠ってしまわれたのですが、この通り、綺麗に消えました。私がお側に控えておきながら、申し訳御座いません」
「いや、構わんよ。大した傷でもない。フェルディナントの車の方は?」
「此方に傷が。ですが、此方もすぐに消すことの出来る傷です」
   フェルディナントの車にも微かに傷が残っていた。この様子だと、僅かに掠った程度なのだろう。
「済みません、父上……」
「傷ぐらいは構わんと言っただろう。だがフェルディナント、邸内なら兎も角、外に出たら気を付けなければならんぞ。この車庫は比較的入れやすい構造になっているが、町の駐車場には狭い所もある。今後は注意しなさい」
「はい……」
「それから時間のある時に、車庫入れを充分に練習しなさい」


   邸のなかに入ると、ユリアが待ち受けていた。お帰りなさいませ――と出迎えながら、ルディが車をぶつけたようだけど――と告げる。フリッツから話を聞いたようだった。
「大した傷でもなかった。僅かに掠った程度だ。……まあ、いつか車庫入れでぶつけられるかもしれないとは予想していたが……」
   苦笑すると、ユリアはそうね――と笑みを返す。フェルディナントはどうも車庫入れが苦手なようで、いつも四苦八苦していた。
「そういうところは私に似たみたいね。私も若い頃に塀にぶつけたことがあるのよ」
「それは初めて聞く話だな」
   部屋で着替えながら、ユリアの話に耳を傾ける。ユリアはまだ貴方と会う前のことよ――と前置いてから話し始めた。
「車のなかに収蔵品を入れた状態だったのだけど、後進している時にぶつけてしまって……。その現場を目撃した兄は青ざめていたわ。車ではなく、中に入っている収蔵品は無事かって」
「オスカーらしい。……で、無事だったのか?」
「幸いね。車は少し凹んでしまったけれど」
「フェルディナントより派手にぶつけてしまったのだな。……まあフェルディナントもいずれは慣れる」
「ルディが慣れた頃には、ロイが車を乗るようになるわよ」
   それもそうだ。来年には私の車の隣にもう一台、ハインリヒの車がやって来るだろう。ハインリヒの運転は未だ眼にしたことが無いが――。





   ハインリヒが無事、士官学校を卒業した時、その卒業祝いとして、フェルディナントと同型の黒色の車を贈った。ハインリヒは宙に舞い上がらんばかりに喜んだ。フェルディナントの時と同じようにディーラーとの契約を済ませてから、庭を走らせたが――。
   まるで何年も運転しているかのように、何一つ危なげなく運転する。大分アクセルを踏み込んでいるが、それでも安定感のある運転をする。
「……得意分野か」
   士官学校で教えられたとはいえ、此処まで上手いとは思わなかった。否、しかし、車庫入れが苦手ということもある。フェルディナントのように。
   ハインリヒは庭を走行し終えると満足した様子だった。フェルディナントに今度遠出に行こう――と誘いかける。
「ハインリヒ。危なげない運転だから良いが、車庫入れは出来るか?」
   問い掛けると、大丈夫だよ――とハインリヒは返した。随分自信があるようだ。そして車に乗り込むと、車庫へと向かう。それもまったく初心者であることを感じさせない速度で。
「……少し速度を出しすぎではないかしら?」
   ユリアが側で不安げに言う。確かにその通りで、フェルディナントが初めに運転した時の倍の速度を出しているように見えた。後で少し注意しておかねば――。
   ハインリヒはその速度のまま車庫に向かうと、ぐいっとハンドルを切った。一旦停車したかと思うと次の瞬間には後進する。しかも塀にぶつけるのではないかと思われる程の速度で。
「凄いな……」
   フェルディナントは感心してその様子を見ていた。というのも、ハインリヒは躊躇も無く一度のハンドル捌きで見事に綺麗に入庫してみせたからだった。しかもあの速度で。そして何事も無かったように車を降りて、此方に駆け寄って来る。
「ロイ。少し速度を出し過ぎよ。公道では危ないことをしては駄目よ」
   ユリアは心配そうにそう注意した。ハインリヒはこのぐらいなら大丈夫だよ――と返す。
「ハインリヒ、聞いてみるが、無免許運転をしたことは無いだろうな?」
「無いよ。士官学校で乗ったことがあるだけ。でも得意だったんだ」
   成程――。
   おそらく勘が良いのだろう。船舶も航空機も、乗物は得意だったんだ――とハインリヒは言った。
「だが、公道であまり速度を出すのではないぞ」
「解ってる。でも楽しくて」
   フェルディナントとハインリヒの運転は対照的なものだった。慎重に運転するフェルディナントに対し、荒いが勘の良いハインリヒ。
   運転は性格を現すとは言うが、まったくその通りだった。

【End】


[2011.6.1]
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