「済まないな」
上着をハンガーにかけてくれたザカ少将に告げると、ザカ少将は穏やかな表情で、そう遠慮なさらないで下さい――と言った。
そうした表情は亡くなった彼の父親によく似ている。温厚な人物、それがザカ中将――ザカ少将の父親の人物評だった。上からも下からも慕われる人物で、物言いは穏やかながらもきちんと自分の意見を述べる人物だった。私に対しては、時に揶揄めいた言葉をかけてきた。それは互いに気を許し合った親友であったからで――。
「私は却って嬉しいのですよ、閣下」
「まだ若いのだから、こんな自由時間には町に出て来れば良いだろうに」
「ずっと憧れていた閣下のお側に居られるのですから」
ザカ少将は歯が浮くようなことをさらりと言う。
「憧れていたと言われると嬉しいが……。年寄りの世話など楽しくもないだろう」
「多分、父が生きていたら、こんな風だったのだなと思えます。閣下とは一歳違いでしたよね?」
ザカ少将は微笑みながら言った。父が生きていたら――、幼い頃に父親を亡くしているからそう思うのだろうか。
「……ああ。一つ年上の先輩で、士官学校時代から仲が良かった。変わり者の私に声をかけてくれたのが、ザカ中将――君の父親だ」
これまでにも何度か彼と話をすることはあったが、立場的にも彼を特別扱いしているように見えてはならないと思い、あまりこうした機会を作ることもなかった。ザカ少将自身もそのことを解っていたようで、顔を合わせても挨拶を交わす程度だったが――。
「父は元々陸軍所属だったと聞いています。所属は閣下と一緒だったことはあるのですか?」
「いや、君のお父さんは、陸軍在籍時はずっと当時のロートリンゲン大将――今のロートリンゲン大将の父親だが、彼の許に居てね。ロートリンゲン大将が副官にと望んだ程、優れた方だった」
「そうだったのですか……。仲が良かったと聞いていたので、もしかしたら所属先が同じだったのかと」
「私は別の部隊に所属していたんだ。その後、君のお父さんは海軍に異動となった。もともと本部所属だったのだが、君の誕生をきっかけに支部異動を選んでね」
「え……?」
「ああ、知らなかったか? 息子と過ごす時間が欲しいといって、ヴェネツィア支部に自ら志願したんだ」
ザカ少将はそのことは何も知らなかったらしく、驚いていた。
「子供思いの方だったよ。……だからあの事件が起こる前、本部異動の話が出た時も、家族で引っ越して来ると家探しに来てね。私もその時、ちょうど会ったのだが……」
「私もそのことは憶えています。母の話では、引っ越し先も決めていたそうです」
「そうか……」
ザカ少将とザカ中将のことを語り合う。不思議な気分だった。
そして父親のザカ中将に劣らず、ザカ少将は気の利く男だった。私が物事を頼む前に、ザカ少将がそれをやってくれる。
翌朝、車椅子に乗って現れた私に皆が驚いた。エディルネから首都ローマまでは約2時間かかる。軍本部に一度顔を出して、一旦自宅に帰ってから、病院に向かおうと思っていたのに、着陸した広場には既に救急車が待ち受けていた。大仰な――とは思ったが、昨日から足はぴくりとも動かない。兎に角歩けるようにならなければどうしようもなかった。
病院に到着すると、既に主治医には話が通っていたようで、そのまま診察室に入った。突然、足が動かなくなった旨を告げると、彼はすぐに検査入院を求めた。
「仕事が立て込んでいるから、とりあえずそれを済ませてからでも構わないか?」
「閣下。もし不具合でしたら、早いうちに調整しないとなりません」
「では……、入院期間はどのぐらいに?」
「二週間か三週間かと。まだ何とも言えませんが、右足の回路の不具合か、それとも脳からの神経伝達に異常が出たか解りかねますので、全身を踏まえての検査を」
「それは……、検査だけの日数か?」
「はい。治療については検査後に。もし義足の回路不具合ということなら、ひと月かかるとお考え下さい」
二週間から三週間の検査入院に加え、ひと月の治療――。
あまりに長すぎる。殆ど二ヶ月だ。その間、仕事は全て停止せざるを得ないとなると、陸軍全体に支障を来す。
「……せめて、ひと月の猶予を貰えないか?」
「閣下。お忙しいのは承知しておりますが、早めに対処しておかないと、歩けなくなりますよ」
歩けなくなる――。
その言葉にどきりとした。まだ、歩けなくなる訳にはいかない。子供が居る。二人のためにも、まだ動けなくなる訳にはいかない。せめてミリィがもう少し大きく――高校を卒業するまでは、今のままで――。
「……解った」
医師からの説明を受けてから診察室を出る。待合室で、副官のリューク中将が待ち受けていた。
「長官。ブラマンテ大将から聞いて驚きました。具合は如何ですか?」
「暫く検査入院となることが決まった。人事委員会に休職願を提出しなければならない」
「長期の入院となるのですか……?」
「少なくとも二週間は検査入院、治療がそれからだというから、ひと月かふた月は休むことになる。この時期に困ったものだ」
本当に困った――。
連邦との会談も予定していたのに、これでは中止にせざるを得ない。それに長期に亘って休むとなると、此方も代理を立てなければならない。
「……ブラマンテ大将を呼んでくれるか? 休職中の代理をブラマンテ大将に頼みたい」
「解りました。至急、連絡を取ります」
「済まないが頼む」
リューク中将が去ってから、携帯電話を取り出す。休憩室に入って、自宅へ電話をかける。
5回の呼び出し音の後、フィリーネが応答した。
「お疲れ様、ジャン。今日の帰りは遅くなるの?」
いつもの調子で私に問い掛ける。またフィリーネに心配をかけることになって済まないとは思ったが、足のことを話し、病院に居ることを伝えた。フィリーネは驚き、そして不安げな声で、すぐに病院に来ることを告げる。
フィリーネが通話を切った時、ちょうど看護師がやって来て、入院についての説明を受けた。書類の決裁をしなければならないこともあるだろうから、個室を所望した。六階の一番奥の部屋に案内され、用意された服に着替え、支えられながらベッドに腰を下ろす。三十分後には検査が始まるという。移動の疲れもあって、ベッドで少し横になることにした。