この日、帰宅すると、ミリィは昼の時のような元気が無かった。どうやら今日のことをフィリーネから叱られたらしい。
「軍務省を見学しにいくから、お父さんに会えるって喜んでいたのだけど、忙しいから会えないわよって言っておいたのよ。それなのにまさか一人で彷徨くなんて……」
「幸い、どの部屋にも入らなかったようだから、私が注意するだけで済ませてもらった」
軍服を脱ぎながらフィリーネと言葉を交わし合う。担当の先生から話を聞いた時には驚いたわ――とフィリーネは溜息混じりに言った。
「まあ、反省しているようだからこれ以上叱るのは止めておこうか」
「先生から聞いたのだけど、ミリィが離れなかったのですって?」
「ああ。本当に会いたくて探し回っていたようだ。……そうなると、少し罪悪感がな」
「仕事なのだから仕方無いわよ。ところで、担当の先生が言っていたわ」
「今日、ミリィを連れてきた人は父親ではなく祖父ではないのか、と?」
「違うわよ」
フィリーネは笑って声を潜める。
「ミリィのお父さんはあの有名なジャン・ヴァロワ大将なのですか――って」
「……軍に勤めているというのは家庭調書に記入してあったと思うが」
「ええ。だけど、同一人物とは思ってなかったみたい。同じ名前なのに面白い話よね」
それはおそらく――。
フィリーネの年が若いから、ジャン・ヴァロワという同姓同名の別人だと思ったのだろう。
「軍務長官だと解って、幼稚園でも騒ぎになったみたいよ」
「子供のことに親の職業は関係無いのに……」
「でもミリィは嬉しかったみたいよ。お父さんが軍人なんて嘘だって、お友達にずっと言われていたみたいだから……」
驚いてフィリーネを見返すと、フィリーネは此処では軍に勤めてる方が少ないから――と言った。
成程、それであの時、子供達がミリィと私を見て言っていた筈だ。本当に軍人だったんだ――と。
「そうか……。周りが軍人ばかりだから失念してしまうが、確かに人口比で見たらそう多くは無いな」
そういえば、普段からミリィも何度も聞いていた。お父さんは軍に居るのよね――と。
「そうだ。話は変わるが、今日、ハインリヒから来月の休暇に家族全員でマルセイユに来ないかと誘われたんだ。予定は大丈夫か?」
「マルセイユって、別荘の方に?」
「ああ。家族でマルセイユに行くらしい。それで私達も誘ってくれたのだが……」
「予定は入っていないわ。ウィリー達が聞いたら喜ぶわね」
リビングに行くと、ミリィが歩み寄って来て、ごめんなさい――と言った。
「反省したのならもう良いんだ」
微笑みかけると、ミリィはぱっと表情を変えて両手を差し出す。抱いてくれということだろう。抱き上げると、やっと帰ってきてくれた――と言った。
「いつも忙しくて済まないと思っている。また2、3日留守をするが、今週末も帰ってくるつもりだ」
「本当に?」
ミリィとウィリーの声が重なる。やはり今日、帰宅して良かった。まだ子供達が小さいのだから、留守がちになるのも良くないことだ――。
「ああ。それから来月の休暇……」
ロートリンゲン家の別荘に招待されたことを話すと、ウィリー達は予想通り、喜んだ。楽しそうに語り合う二人を見ていると、私自身も心が和む。毎日帰宅したいと思う。
そのためには官舎に住むか、もう少し近い場所に住居を移した方が良いのだろう。以前から悩んではいたが――。
そうするうちに、日数が過ぎていき、休暇を迎えることになった。
「ユーリだ!」
ロートリンゲン家に到着すると、既にハインリヒ達は庭で待っていた。ハインリヒの足下に居たユーリを見つけて、ウィリーとミリィが駆け寄る。
ユーリは嬉しそうに笑って、ウィリーとミリィの名を呼んだ。
「お久しぶりです。夫人」
ハインリヒの妻エミーリアは微笑んで、此方こそ御無沙汰しております――と言った。夫人と挨拶を交わし合っていると、水臭いですよ――とハインリヒが側から口を挟んでくる。
「ヴァロワ卿とは付き合いも長いのだし、妻同士も仲が良い。もっと此方に来て下されば良いのに」
その時、ユーリが此方を見て、こんにちは、と挨拶をした。以前会った時より、随分大きくなったように見える。
「こんにちは。大きくなったな、ユーリ」
以前はあまり感じなかったのだが――。
ユーリはフェルディナントによく似ていた。目鼻立ちが整っていて、フェルディナントを彷彿とさせる。
「……ルディに似てきたでしょう?」
思わずユーリを見つめてしまった私に、ハインリヒが囁いた。
「ああ。驚いた。私は子供の頃のことは知らないのだが……、まるでフェルディナントを幼くさせたようだな」
容姿もそうだが、ユーリはフェルディナントと同じ日に誕生した。奇妙な縁というか、何か不思議なものを感じてしまう。
「生まれた時から、ミクラス夫人は似ていると言っていたのですがね。最近は日に日に似てきたように思います」
ハインリヒの言う通りだ。
表情のひとつひとつがフェルディナントそのもので――。
もしこのまま成長したら、フェルディナントと声をかけてしまうのではないか、そんな気さえする。
「さて、出発しましょう。マルセイユにも車があるので、私の車に乗って下さい」
ハインリヒが用意していた車は、ワゴンタイプの大きな車だった。後程運転を変わろうと、助手席に乗り込む。妻と子供達は後部座席に乗り込んだ。