五日間も職務を休んでいた俺を心配して、ヴァロワ卿が見舞いに来た。昨晩になって熱が完全に下がり、食欲も戻って来たところだった。起きだして応接室でヴァロワ卿と話をしようと思っていたところ、ミクラス夫人に制された。酷い高熱を出したのだから、油断せずにもう少し身体を休めておくようにと夫人は言った。
「大丈夫か?」
ヴァロワ卿は心配そうな表情で部屋に入ってきた。ベッドの上に起き上がっているような状態だったから、余計に心配させてしまったかもしれない。
「もう熱も下がりましたから。御心配をおかけしました」
「風邪で寝込むなど無かったことだろう? ヘルダーリン卿も随分心配していたぞ」
「念のためあと一日休みますが、明後日には出勤しますよ」
「疲労が出たのではないか? 葬儀からずっと忙しかったのだろう」
「ええ。医師にも過労だと言われました。高熱を出したのは士官学校以来ですよ」
笑いながら告げると、ヴァロワ卿はゆっくり休むよう言った。
「もう充分に休みました。これ以上休むと、眼が溶けてしまいそうです」
「……少し元気が出たようだな」
ヴァロワ卿は安堵したようにそう言った。
驚いて見返すと、ヴァロワ卿は笑む。きちんと接していたつもりだったが――。
気付かれていたのか――。
「……納得しているつもりでも、なかなか受け入れられませんでした。あの日のことを思い返しては悩んでいました。私がルディに頼りすぎていたから、ルディの身体を弱らせてしまったのではないか……と」
「ハインリヒ……」
「ですが、そんな風に考えてはルディの気遣いを踏みにじってしまうことに気付きました」
「……そうか……」
ヴァロワ卿は俺を見つめ、それから何かを考えるように視線を落とした。それからすぐに思い切った様子で顔を上げる。
「……本当は墓場まで持っていこうと思った話だ」
「ヴァロワ卿……? 何のことですか?」
「私はフェルディナントの命数が短いことを知っていた。……元帥から聞き知っていたんだ」
一体――。
一体何のことだ……?
父上がヴァロワ卿にルディの命数が短いことを告げていた……?
「それは……、成人に達するまで生きられないかもしれないという話ですか……?」
「そのことは、お前もフェルディナントも知っていただろう。……元帥が亡くなる一年前に私に話したことだ。フェルディナントの病気を治そうと遺伝子治療を試みたことがあったらしい。その時、偶然にもフェルディナントの命数が40年持たないことを知ってしまったんだ。どれほど労っても、細胞が40年以上は生きられない、と……」
細胞が生きられない――?
ルディは細胞が壊死して、それが死への直接的な原因となった。それは既に解っていたことだ、と――?
「ヴァロワ卿。私はそんな話を聞いたことが……」
「当たり前だ。元帥はお前にもフェルディナントにも話していない。この家の誰にもだ。知っているのは元帥とお前の母君、それにトーレス医師と私だけだ。……ロートリンゲン家を継がせなかったのも、それが大きな理由だと。40年しか生きられないのなら、自由に好きなことをさせてやりたいとその時、仰っていたことだ」
知らなかった――。
40年――。
ルディの身体がたった40年しか生きられない身体だったとは――。
「だから……、フェルディナントは精一杯生きられたのだと私は思っている」
「……ヴァロワ卿がルディの身体を気に掛けていたのは……、それを知っていたからですね……?」
「……ああ。顔色も良いからまだ大丈夫だ――と思っていたのだが……」
「父はヴァロワ卿を信頼していた。だから……、話したのでしょう。私に話すと変にルディを気遣ってしまうから……」
「私もそう思う。……済まない。お前には告げた方が良いのかとここ数年、ずっと悩んでいた。だが元帥の気持ちを考えると、告げることも出来ず……」
40年――。
そうだったのか。ルディの身体は元々40年しか生きられない身体だったのか。
ルディは38歳でこの世を去った。ならば、ヴァロワ卿の言う通り、充分に生きられたということなのか。
「……教えて下さってありがとうございました。ヴァロワ卿」
「ずっと胸に秘めておくことも出来ず、また事後になってこのようなことを伝えて済まない」
「いいえ。おそらく父もそうしたでしょう。ヴァロワ卿の仰った通り、ルディは充分に生きたのだと思います。……漸く私もそう思えます」
ヴァロワ卿は笑みを浮かべて、無理をせずゆっくり休めよ――と言った。本部の様子を教えてくれ、それからヴァロワ卿は帰っていった。
国際会議の前に十日間、後に一週間の休みを取ったせいで、机の上には書類が積み上がっていた。ヘルダーリン卿に迷惑をかけた旨を告げてから、すぐに書類の処理に取りかかった。
「閣下。リスボン支部の海上警備案の提出が来週に迫っていますが、どの案を採用なさいますか?」
コールマン中将が書類を持ってやって来る。うっかり忘れていたが、密入国の取締対策の一環に、リスボン支部の海上警備厳重化があった。コールマン中将が持って来た書類のなかには、A案からE案まで5つの案が出揃っていた。
「……C案を採用しつつ、港湾整備を財務省に提案しよう。港湾整備が調えば、人員配置が少なくて済むA案に切り替えられる」
「解りました。それから来週にはナポリおよびヴェネツィアの視察が入っていますが……」
「解った。ナポリとヴェネツィア、他に周辺都市で暫く視察していないところをピックアップしてくれ」
「……お身体は大丈夫ですか?」
コールマン中将に気遣われ、思わず手を止めた。病み上がりでらっしゃいますし――と彼は付け加える。
「もう大丈夫だ。充分休んだからな。支部回りの予定を組んでおいてくれ」
もう大丈夫――。
もう大丈夫だった。俺は倒れる訳にはいかない。やらなければならないことが沢山ある。
ルディに託されたロートリンゲン家も、そしてこの国の未来も。
ルディの意志は既にこの国に発信されている。ルディの望みは何だったのか、俺はよく知っている。
だが俺はルディのような才は無い。
その志を引き継ぐことは、俺のような凡人にとっては大それた望みかもしれないが――。
微力に過ぎないが、俺に出来る限りのことを努めよう――。
そう心に決めたのだから。
【End】