陰謀の幕開け



   その報せは、いつもと変わりない休日に突然もたらされた。
「え……!?」
   リビングルームで、家族と共に寛いでいた時のことだった。ロイの携帯電話が鳴り響いた。
   ロイは画面を見ながら、ヴァロワ卿だと呟いていた。ソファから立ち上がり、部屋の片隅に移動しながら、通話ボタンを押して話し始めた。
   休日にヴァロワ卿から連絡が入るのは珍しいな――と思っていたところ、ロイが驚きの声を上げた。その声に、父上も母上も私も全員がロイを見遣った。ロイは半ば放心状態で返事をしながら、解りました、と告げて通話を切った。
「ルディ、父上……」
   ロイは携帯電話を握ったまま、ソファに戻ってくる。どうかしたのか、と父上が尋ねた。
「ザカ中将が……、亡くなったと連絡が……」



   その言葉に、私はただロイを見つめた。
   ザカ中将が亡くなった――。
   何故――。


   父上が、何故彼が亡くなったのかとロイに問い返す。ロイは事故だと応えた。
「事故……?」
「ヴァロワ卿も詳細はまだ解らないらしくて……。ただ隣の支部への移動中に車が事故を起こしたって……」
「何ということだ……。何故事故が……」
「原因については調査中だって……。ヴァロワ卿は一足早くヴェネツィアに行って、原因を聞いてくるって言ってた」
「……ではもう出立したのか?」
「そうみたい。葬儀は明日だって連絡をくれたんだ。任務中の事故だから将官は出来る限り参加ということで……。それから父上とルディにもこのことを報せてほしいと」
   ヴァロワ卿はザカ中将が士官学校時代からの先輩だと言っていた。二人の様子を見ていても、仲の良いことは解ったし、何よりもヴァロワ卿があんなにも打ち解け合っているのは、ザカ中将だけだった。きっと報せを受けて、すぐに家を飛び出したのだろう。
   父上は頷いて、私も参列しよう――と言った。

   ザカ中将は元々、陸軍部所属で、父上の指揮する部隊に居た人物だった。それは私が病気に罹ってマルセイユで療養していた時期に当たる。その当時、少佐だったザカ中将に、護衛をしてもらったことがある。散歩に連れて行ってもらったこともある。
   外務省に入った一昨年、ヴァロワ卿と共に仕事をしている最中に、偶然にもその中将と再会した。その後も彼が本部に来るたび、ヴァロワ卿やロイを交えて食事をしながら話をした。ザカ中将は穏やかだが、自分の考えを確り持った人で、ヴァロワ卿と似ていた。
『強い指導者が必要な時代は終わったのだと私は思っている。帝国は巨大化している軍事費を切り詰めて、社会政策に資金を回すべきだと私は考えるが、軍の内部でこのようなことを言っては首を切られるからね』
   きっと、あと数年のうちにはヴァロワ卿と揃って大将となり、活躍してくれる人だと思っていた。私はそれを楽しみにしていた――。


「フェルディナント、お前は明日の仕事を休めるのか?」
   父上に問い掛けられて顔を上げる。頭のなかですぐに予定を確認したが、明日は会議も入っていなかった。
「休めます。私も参列します」
   父上は頷くと立ち上がる。フリッツの許に行ったのだろう。
「ルディ。確か、二月前にヴェネツィアに行った時にザカ中将と会ったって言ってたよな……?」
「ああ……。一緒に仕事をした。だがまさか……、こんなことになるとは……」
   私にはまだ信じられなかった。あのザカ中将が亡くなったということが――。
「二人とも、明日の出立の準備をなさい」
   母に促されてソファから立ち上がる。
   ザカ中将のことは、初めて会った日から、二月前に彼と会った時ことまで全てを思い返すことが出来る。
   私が生まれて初めて、家族以外の人間に親しみを覚えた人物だった。マルセイユでの療養中、私を散歩に連れ出してくれ、その時に色々な話をした。再会してからは、一層親しくなった。父上も母上も、そのことを知っていた。
   だが、誰がこんな事態を誰が予想していただろうか。


「ルディ。もしかしたら……、何か不審な点があったのかな」
「え?」
   階段を上っていると、ロイがそう話しかけてくる。不審な点とはどういうことか――。
「ヴァロワ卿の様子がおかしかったんだ。勿論、親友を失ったことの悲しみもあるんだろうけど、悲しみだけではないような気がして……」
「……事故の詳細を聞くまでは何とも解らないな」
「ルディも知っているだろうけど、ザカ中将やヴァロワ卿は上官達と一線を画しているだろう。今、軍の内部で頭角を表しているのはフォン・シェリング大将……。次の陸軍長官と目されている人物で、手段を選ばないとの噂が名高い。まあ、フォン・シェリング家自身が最近、良い噂が無いからな」
「ロイ。滅多なことを言うな」
「解ってるよ。軍のなかでは俺もこんな話はしない。……けれどルディ、多分、ヴァロワ卿はフォン・シェリング大将を疑っている筈だ」
「……フォン・シェリング大将の噂は私も聞いている。だがまさか、同じ軍内部の者を殺害しようとまでは考えないだろう」
「ヴァロワ卿は何か心当たりがあるのかもしれない。明日になれば情報が此方にも入ると思うけど……」

   ヴェネツィアは帝都から西に向かったところに位置する海に面した町で、車で五時間かかる。
   早朝に帝都を出立した。ロイと私が後部座席に、父上は助手席に乗り込んだ。其処から見る父上の表情は険しいものだった。
   もしかしたら昨日のロイの話は本当なのかもしれない――とさえ思えた。
   ザカ中将――。
   車窓からずっと彼のことを思い返していた。


[2010.5.6]
1<<Next
Galleryへ戻る