友人



「え?飲めないのか?」
   土曜日の午後、ハインリヒとフェルディナントを誘って、初めてハインリヒと出会ったあのバーに行った。
   語り合ううちに、フェルディナントの顔がみるみる赤くなっていった。飲み過ぎたのだろうかと思い、グラスを見てみるとまだ最初の一杯で半分もなくなっていなかった。
   聞いてみると、体質です、と彼は肩を竦めながら言った。
「グラス一杯しか飲めないんです。すみません」
「そうだったのか。それは飲みに誘って済まないことをしたな」
「いいえ。この店のことはロイからも聞いてましたから、興味があったんです」
   フェルディナントの言葉に、マスターが身を乗り出して来る。弟君は良く此処に来ていたよ――と言った。
「面白い話を色々聞かせてもらったと聞いています」
「聞きたいかね?」
「はい」
   マスターは嬉しそうにフェルディナントの前に移動する。その手にはソフトドリンクがあった。フェルディナントにそれを勧めながら、俺が何度も聞いたこともある話を語り始める。

「ルディは異国の話を聞くのが好きだから、マスターとちょうど良いですよ」
   ハインリヒは飲んでいたグラスを置いてそう言った。確かにフェルディナントはマスターの話を楽しそうに聞いていた。
「しかし……、飲めないとは知らなかった。ハインリヒが結構飲むから、フェルディナントもそうなのかと……」
「ルディにグラス二杯飲ませたら倒れますよ。急性アルコール中毒で」
「……そんなに弱いのか」
「成人の祝いに父がワインを飲ませたら、二杯目で倒れて……。その後一週間寝込みましたから」
「強い酒でも平然と飲むお前とはえらい違いだな」
「俺は父に似て酒が強いですから。ルディとは逆で酔えないんです」
   言いながら、ハインリヒはまたグラスを空ける。もう随分飲んでいる筈なのに、けろりとしていて頬一つ染めない。兄弟でこんなにも対称的だと面白い。
「ヴァロワ卿も結構お飲みになりますよね」
「まあ俺も強い方だ。軍は酒に強い奴が多い。飲みに誘われないか?」
「今のところまったく。同僚達は一歩引いているような感じだし、上官達は腫れ物に触るようで……」

   ハインリヒが入隊して三ヶ月が経つ。確かに、誰もが彼に遠慮していた。普通に接しているのは俺だけで、上官がそれを見て俺を呼びつけ、馴れ馴れしすぎる、と注意を与えてきた。それはひと月前のことだった。
『彼の階級が大佐とはいえ、他の士官とは違う。君は何故そう暗黙の決まり事に刃向かうかね』
『御言葉ですが、私は他の大佐と同列に扱うべきだと思っております』
『だから出世出来んのだ、君は!』
   捨て台詞が出世が出来ないと来た。別にこれ以上の昇進は望んでいない。俺が呆れたように上官を見ていると、上官はもういいと言って、退室を命じた。
「ヴァロワ卿と同じ部署で良かったです。そうでないと息が詰まる」
「軍のなかでは俺は変人呼ばわりされているからな。悪い噂がつくかもしれんぞ」
   ハインリヒは軍の雰囲気がおかしいんですよ――と笑いながら言った。
「尤も外務省も似たようなものらしいですから、どこの省も同じでしょうね」
「まあ、多かれ少なかれというところだろうな」
   ちらと隣を見ると、フェルディナントは喜々としてマスターの話に耳を傾け、様々なことを尋ねていた。
   どうやらハインリヒの言う通り、異国の話を聞くのが本当に好きらしい。


   三時間ほどその店で談笑した。そろそろ帰ろうかと立ち上がったその時、フェルディナントは足をふらつかせた。
「大丈夫か?」
   慌てて背を支えようとすると、すみません、と苦笑を返す。グラスにはまだ一杯目の酒が残っていた。こんなに酒に弱いのなら、酒場に誘うのは悪いだろう。次からは気を付けなくては。
   そう考えていると、別れ際にフェルディナントは言った。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
   本当に嬉しそうにそう言った。ハインリヒも職場では見せない表情で、ありがとうございましたと礼を述べる。

   ああ、そうか――。
   この二人には親友が居ないのかもしれない。軍のなかでのハインリヒの扱いは、他の大佐と格段の差がある。そうなると、同じ階級の同じ年齢の者でも良い気分はしないだろう。
   そしてきっと、フェルディナントも同じだ。

   だとしたら、偶にはこうして二人を誘うのも良いことだろう。
   今度は食事にでも誘うか――。
   そんなことを考えながら、二人と別れ、家路についた。


[2010.1.22]