冒険



   5月27日。
   それは私の誕生日で、この日は必ず両親から贈り物を貰う。子供の頃は絵本や玩具を貰ったものだった。高校に入ってからは実用的な物を貰うことが多く、去年はカフスボタンを貰った。
   贈り物はいつも夕食を終えてからの家族団欒の時間に貰う。ところが、今年は違った。何が貰えるのか、それは解っている。
   半年前のことだった。父上は自動車学校の案内を私に差し出して、免許を取ってくるように促した。
『免許……ですか……?』
   まさか免許を取るよう求められるとは思わず、父上に問い返すと、運転手が居るとはいえ免許は持っておけ――と父上は言った。
『持っていて不利になるものではない。今年のお前の誕生日には、車を贈るつもりだ』
『車を……!?』
   車は高価なもので、おまけに維持費もかなりかかると聞いている。車を所有しているだけで高額の環境税を支払わねばならず、それに複数台の所有となると税率は倍以上に跳ねあがる。そのため、車を所有していること、それ自体が一種のステイタスのようになっている。
   既に邸には2台の車があって、誰もが不便を感じることもない。それなのに、私のために一台買ってくれるなんて――。
   そんな私の驚きを察して、父上は笑ってから言った。
『年相応になれば、お前にもハインリヒにも一台ずつ、車を買い与えるつもりだった。初めての車ゆえ、車種は私が選ぶが、色はお前の好きなものを選びなさい』
   そうして大学の傍ら、自動車学校に通い、免許を取得した。取得してから二度だけ、父上の車を借りて公道を走ったことがあった。父上の車は車幅があって、細い道に入るのに苦労する。傷付けてはならない――と神経をすり減らしながらの運転は酷く疲れてしまうものだった。
   だが、自分の車なら――。
   もっと乗ってみたいと思う。少し遠出してみたいと――。
   それに――。


「ルディ。お父様がお帰りになったわよ」
   今日は父上が早めに帰宅することになっていた。車の引き渡しのため、ディーラーが邸に来るという。父上がどんな車を選んでくれたのかは知らない。ただ、色を選べと言われて、白色を選んだ。
「お帰りなさい。父上」
   母上と共に階段を下りると、父上の姿が見えた。ただいまと応えてから、父上は着替えを済ませるために部屋に向かう。リビングルームで待っていると、程なくして私服に身を包ませた父上が母上と一緒に現れた。
「応接室に移ろう。もう間もなく、ディーラーがやって来る筈だ」
   促されて立ち上がり、応接室へと向かう。其処へ、フリッツがディーラーの到着を告げた。
「通してくれ。まずは書類上の手続きがある」
   初老のディーラーは応接室にやって来ると、このたびはお取引をありがとうございます――と、深々と一礼した。そして10枚に渡る書類を出して、ひとつひとつの処理をその場で行っていく。車は私の名義となっているため、いずれも私の署名が必要だった。
   そしてそれらが終わると、ディーラーは宝石でも入っているかのような箱を携えて、此方が鍵になります――と差し出す。それを受け取って開けると、銀色に輝く鍵が入っていた。誕生日を祝うメッセージと共に。
「ありがとうございます。父上、母上」
   それを大事に手に取ると、父上は車を見せて貰おうか――とディーラーに言った。腰の低いディーラーは恭しく一礼して、今からお庭に出します――と告げる。


   庭には、大きなトラックが停まっていた。ディーラーが運転手に一声かけると、トラックの荷台が開き、其処から自動でレーンのようなものが伸びてくる。そのレーンに乗って、車がゆっくりと下りてくる。
   私の希望していた通り、白い車だった。父上ほど車幅の広い車ではなく、それより少し小振りの、ちょうど良い大きさの車だった。
「初心者にはこの大きさが運転し易い。慣れたら、お前の好きな車を買いなさい」
「この車で充分です。父上」
   父上のように大きな車よりも、この車のほうが余程良いように思えた。
「乗ってみなさい」
   父上に促され、胸を高鳴らせながら解錠し、ドアを開ける。座席はビニールに包まれたままだったのを、ディーラーが取り外してくれた。ゆっくりと乗り込んで、座席の位置を合わせる。シートベルトをきちんと掛けると、ディーラーが運転席に少し顔を寄せて教えてくれた。
「今は自動モードになっています。その中央のボタン……ええ、そのボタンでお切り替えになって下さい」
   自動モードから切り替えてみる。そのうえでエンジンを始動させると、ナビゲーションシステムが起動した。
「ナビゲーションシステムの設定は済ませておきました。お車に何か御座いましたら、御屋敷にも連絡が入るようになっております。それから画面右端のボタンを押しても、御屋敷にご連絡が入ります」
「緊急ボタン……という所かな?」
   そうです――とディーラーが応える傍らから、父上が言った。
「急に具合が悪くなった時のための通信手段として、機能を拡張してもらった。そのボタンを押せば、すぐに通信が繋がってお前の位置も解るようになっている」
   ということは、無闇にこの通信を使わない方が良いだろう。本当に緊急の時だけというボタンか。
「この他、車載カメラを含む安全装置、盗難防止システムが装備されています。殆ど全ての機能が備わっているとお考え下さい。アクセルとブレーキ、ギア、それにハンドルに不都合は御座いませんか?」
   ディーラーに言われて確認したが、特に何も感じなかった。それでは運転なさってみて下さい――と告げられる。ミラーの位置を調整し、それからギアを入れてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

   車がすうっと動き出す。
   運転が初めてではないのに、何か不思議な感覚だった。自動車学校の車とも、父上の車とも違う。それよりももっと身体に馴染むような――。

   父上の言っていた通り、運転し易い――。

   庭をぐるりと半周して、父上達の許に戻る。どうだ――と父上が問い掛けた。
「とても楽に運転出来ます。父上の車は少し運転し辛かったので……」
「そうだろう。しかし過信は禁物だ。事故の無いように心掛けなさい」
   父上がディーラーと話をしている間、ナビゲーションや車のシステム設定を弄ってみた。ずらりと機能が並び。先程、ディーラーが言っていたように随分多機能な車のようだった。
「乗り心地はどう?」
   母上が顔を覗かせる。とても良いよ――と応えると、良かったわねと母上は微笑んで言った。
「あとで父上と母上を乗せて周辺を走りたいな」
「あら。一番はティアナではないの?」
   母上はひっそりと声を潜めながら揶揄する。
「いずれ……、ティアナともこの車で何処かに行きたいけれど……。でもまだそれは先のことだし……」
「その時のために助手席は空けておきましょうか」
   母は笑いながら言う。
「良いよ。もし父上か母上が助手席に乗らないとなったら、多分、一番はロイになると思うから」
   もうじき週末を迎える。その時に、ロイの士官学校に行ってみたいと思っていた。此処から車で約二時間かかる。私がいきなり車でやって来たとなったら、ロイは驚くだろう。免許を取ったことは知らせたが、車を買って貰ったことはまだ言っていないのだから。


   ディーラーが去ってから、父上に週末にロイの許に行きたい旨を伝えた。
「……自動運転で行くというのなら、許可しよう。初めての運転としては少し距離が長いからな」
   自動運転で行くことを約束して、許可を貰った。ロイには週末に会いに行くことだけをメールで伝えておいた。ロイも時間が空いていたようで、週末はまったく予定が入っていないから楽しみにしているという返信が来た。
   その日まで、大学から帰宅しては庭で車を動かした。自動モードの制御方法は兎も角として、自力での車庫入れには少し手間取る。運転手のケスラーに教えてもらい、また私のもたついた車庫入れに見かねて、帰宅した父上までも手取り足取り教えてくれた。それでも父上やケスラーのようにするりと車を停めることが出来なかった。
   そうこうするうちに週末となった。


[2011.5.27]
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