出会い〜新トルコ王国王立士官学校にて



「今年も骨のありそうな奴は居ないですよ」
   新入生のみが参加する入校式を見に行ったシャフィークが、詰まらなそうに寮に戻ってくる。手に持っていた書類を俺の前に差し出して、この部屋に来る新入生ですと言った。
「2人か。今年は入学者数を削減したと言っていたから、少ないのだろうな」
「歓迎会も例年通りに?」
「そうしたいのだろう?」
   尋ねて来たシャフィークにそう返すと、シャフィークの背後に居た後輩達が期待の眼差しで此方を見つめる。シャフィークはにっと笑って、慣習ですからね――と言った。
「怪我はさせるなよ」
「解っていますよ。アスアド、ラーミー、ディヤーブ、良いな?」
   シャフィークが後輩達の方を振り返りながら再度確認を取ると、三人は了解しましたと告げる。そしてすぐに動き始める。ベッドのマットレスを2つ、入口の近くに持って来て壁側と窓側に向かって凭れさせ、さらに部屋全体にビニールシートを被せていく。
   新入生歓迎会という名の、毎年一度の恒例行事だった。
   尤も此処は士官学校で、しかも男子寮だから、歓迎の意味するところもかなり手荒いが。
   この寮のどの部屋でもそれは行われていて、俺もシャフィークも、アスアドをはじめとする後輩達も全員が、その洗礼を受けてきた。昨年はラーミーが転倒した際に腕を骨折して、始末書を提出した。先輩達が後輩達を可愛がる――端的に表現すれば、一方的な喧嘩を仕掛け、力の上下関係を知らしめる。また、去年新入生だった者達は、今年は先輩側となるから喜々とその時を待つ。そうしたこともあって、今年からは止めよう――と言う者は今のところ、誰一人居ない。

「あと30分か。今年の新入生は何分で根を上げるかな。お前達は10分と持たなかったが」
「ハッダート先輩が強すぎるんですよ」
   アスアドが同意を求めるようにラーミーとディヤーブを見遣る。二人とも大きく頷いた。
   確かにシャフィークは強い。シャフィークが新入生としてこの部屋に来た時、その強さに先輩達と驚きあったものだった。不意をついた筈なのに、逆に俺や同級生達が殴られた。先輩達が適当なところで止めの言葉をかけてくれたから、一応は俺達先輩側が勝利したが、あれ以上続いたら、シャフィークは一人勝ちしていただろう。
   シャフィークが居る限り、此方が勝つことは間違いないだろう。去年は10分持たなかったが、今年はそれを上回るだろうか。
「今年は5分で根を上げるに賭けるぞ、俺は3000」
   シャフィークが言い放つ。アスアドは5分以上に3000、ラーミーとディヤーブは5分以下に3000を賭けた。
「ムラト先輩は?」
   シャフィークが声をかけてくる。5分は早すぎるような気がするが――。
「どんな新入生か見ていないからなあ……」
「今年の試験は難しくて、合格者は少なかったと聞きますよ。ということは、頭ばかり良くて体力的にはイマイチの奴等だと思います。あまり体格の良い奴も居なかったですしね」
   今年の入試は難関だったという話は確かに耳にしていた。軍部の予算削減のため、士官学校の定員を減らす――したがって例年以上に優秀な人材が集まったとも噂で聞いていた。
「……では少しだけ新入生に期待をかけよう。5分以上持つに3000」
   毎年のことだが、どんな新入生か興味がある。ここ数年ではシャフィークの強さが衝撃的だった。まあそう何人もこんなに強い人間も居ないだろうが――。


   静かに待機していると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。おそらく新入生だろう。シャフィークはアスアド達に手で指示をし、新入生が扉を開けるのを待った。
「どうぞ」
   俺が扉に向かって声をかけると、扉がゆっくりと開く。
   刹那、ディヤーブが枕を新入生に叩きつけた。
   うわっという声が聞こえる。何だ、という毎年お決まりの言葉も聞こえて来る。枕攻撃が終わるや否や、今度は新入生の手を引っ張って部屋に引きずり込み、総攻撃が始まる。
   こうなると何でもありだ。殴る、蹴る、水を吹っかける――。俺の時はクリームパイを投げつけられた。当時は唖然としたが、そうしたことも今となっては良い思い出だ。
   新入生二人のうち、一人は中肉中背の男で、ラーミーとディヤーブからの手荒い歓迎に、止めて下さいという言葉を繰り返していた。5分と持たなかったか。

   しかしもう一人は、シャフィークと同じぐらい背の高い男で、アスアドの攻撃を巧みに交わしながら、一体何ですか――と眉根を顰めていた。アスアドはラーミー達と比べれば強い方なのに――。
   時計を見遣ったシャフィークがアスアドの加勢に出る。これで終わりだな――と思っていたところ――。
   背の高い男はシャフィークの拳を受け止めたり交わしたりしながら、互角に張り合っていた。
   あのシャフィークと――。
   互角……だと……?

「ムラト先輩……。あの新入生……」
   後輩達が茫然としながらその光景を見つめる。俺も言葉を失っていた。
   5分は疾うに過ぎていた。しかしシャフィークもいつもと違って手間取る相手に、逆に関心を持ったようで拳を止めない。
   対する新入生も猛然とシャフィークの拳を受け止める。しかし、どちらかといえば防戦一方で――。
「シャフィーク、止めろ」
   声をかけると、シャフィークは息を切らしながら此方を振り返った。
「大した奴だ。一度も拳を入れさせませんよ」
「噂には聞いていましたが……、寮の歓迎会が此処まで手荒いものだと思いませんでした……」
   新入生も息を切らしながらそう言った。
「これが慣習だからな。洗礼のようなものだ。悪く思うなよ」
   3分程で根を上げた男が、不服そうに立ち上がる。唇の端から血が滲み出ていた。もう一人、強い方の男は部屋の面々を見遣り、それから一礼する。
「レオン・アンドリオティスです。宜しくお願いします」
   レオン・アンドリオティス――とその男は名乗った。礼儀正しそうな男だった。
   待て――。この男、もしかして防戦一方だったのは――。
   相手が年長者だから遠慮したのではないだろうな。そうだとしたら、この男はシャフィークより強いのかもしれない。
「シャラフ・マイスールです。宜しくお願いします」
   もう一人も挨拶を終える。今度は此方が名乗りを挙げる順番となる。
「四年のアブデュル・ムラトだ。この部屋には四年生が俺しか居ないから、責任者を務めている」
「三年のシャフィーク・ハッダート。三年生はもう一人居るが、休学中で不在だ」
「二年のアスアド・ムフリス。そして……」
   二年生の三人が挨拶を終える。彼等に部屋を案内するよう告げると、新入生二人は奥へと入っていった。
「シャフィーク。うかうかしていられなくなったな」
   苦笑混じりに声をかけると、シャフィークはもう少し手合わせしたかった――と勇ましいことを言った。
「一見、のんびりした男に見えますが、腕は確かですよ」
「そのようだ」
   面白い男が入って来た。腕自慢のシャフィークに匹敵する新入生とは――。


[2011.5.3]
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