導かれる未来



「ねえねえ、来週テーマパーク!」
「動物園!」
   本を読んでいると、子供達が側に寄ってくる。4歳の長男に2歳の長女、今一番騒がしい年齢だった。偶の休日、今日こそこの本を読み終えようと思っていたら――。
「解った。来週、両方に行こう。約束する」
「駄目だよ! 一日だと時間が足りないよ!」
   ウィリーが猛反対する。側でミリィが動物園、動物園と嬉しそうに騒いでいた。
「ウィリー、ミリィ。お父さんに無理を言っては駄目よ」
   台所から現れたフィリーネは手に盆を持っていた。私の前に珈琲を置き、ウィリーとミリィの前にアップルジュースを置く。二人とも、私の隣にちょこんと座ってグラスを手に取る。私の向かい側にはフィリーネが座った。窓の側ではヴィクターが心地よさそうに眠っている。
   休日のいつもの光景だった。
「来週、動物園に行って、また今度のお休みにテーマパークに行ったら?」
   子供達に向かってフィリーネが提案する。ウィリーが大きく首を横に振った。
「だってショーの期限があるんだもん。再来週でショーが終わりなのに……。お父さんの今度のお休みがいつになるか解らないし……」
「忙しさは一段落したから、再来週もおそらく休みは取れるぞ? ウィリー」
「絶対にお休み取れる?」
「……絶対と言われると……悩むが……」
「じゃあ駄目。テーマパークは来週!」
「動物園は……?」
   ミリィが不安そうに私の顔を見上げる。最近、よく思うことだが、ミリィはフィリーネの子供の頃にそっくりだった。
「大丈夫。動物園も約束するから……」
   言いながら、少し不安も覚える。漸く忙しさが一段落したとはいえ、再来週も休みを取れるだろうか――と。おそらく大丈夫だとは思うが。


   今日もひと月ぶりの休日だった。ウールマン卿の後を継ぐ形で、陸軍長官に復帰し、もうじき4年となる。早いものだった。
   この国が帝国から連邦へと変わってからを数えると6年――。
   6年前の混乱期を思えば、社会混乱もなく平穏な日々を取り戻したかのように見える。だが、内部はまだ法改正やら条約改正やらでごたついていた。
   土日でも公務が入って来るから、毎週末、自宅でのんびりと過ごすことも出来ない。毎日帰宅するのも日付が変わる頃で、子供達は寝静まっている。朝、食事の時に顔を合わせるだけだった。
「カイなんて、もう何回もショーを観に行ってるんだって。友達は皆、家族でいろんなところに出掛けてるんだ……。うちみたいにお父さんが忙しくないから……」
   それを言われると胸が痛む。
   私が忙しすぎて、子供の相手をしてやれない。育児はいつもフィリーネに任せきりで、休日さえもまともに取れない。
「仕方無いでしょう、ウィリー。我が儘を言っては駄目よ。お父さんだって連れて行ってあげたくても忙しくて出来ないのだから」
   フィリーネが諭すと、ウィリーは口を尖らせて俯いた。幼稚園で友達と色々な話をするのだろう。一方のミリィは私に抱きついて離れない。
「解った。来週と再来週は何としても休みを取ってくる。その代わり、ウィリーもミリィも良い子にしているのだぞ」
   そう約束すると二人は嬉しそうに声を上げた。暫くすると、ウィリーがヴィクターを連れて庭に出る。ミリィもとことこと後に続く。二人が仲良く遊ぶ様を、珈琲を飲みながら眺めていた。
「良いの? あんな約束して」
「ああ。まあ何とか休暇を取ってくる。……こうして家族で過ごすことも滅多に無いからな」
「ウィリーもまだ貴方の仕事のことを理解してないんだもの。簡単にお休みの取れる仕事じゃないっていつも言ってるのに……」
「仕方無い。まだあの年齢だから、理解しろという方が無理な話だ。特に今年は夏の休暇も仕事で潰してしまったからな」
「仕事仕事で無理しないでよ」
「心配せずとも大丈夫だ。ミリィが成人するまでは長生きするよ」
   私が50歳の時に第二子のミリィが誕生した。今が2歳だから成人するまであと18年、70歳まではまだ倒れる訳にはいかない。
   子供が出来たことで、早期退職の夢は潰えてしまったが、軍に勤めることが出来るのもあと10数年と考えると短いものだった。
「もう、長生きだなんて! まだ若いのだから、そんなことを言わないで」
   フィリーネは少し不機嫌な態度で言った。私がこういうことを口にすると、途端に怒る。
「ところでフィリーネ」
「何?」
「来月、誕生日だろう」
   フィリーネは眼を丸くした。私はそんなに驚かすようなことを言っただろうか。
「憶えていてくれてありがとう。それだけで嬉しい」
「……毎年、祝っていると思うが……?」
「友達がね、皆、旦那さんに誕生日を忘れられてたって言ってたの。私達ももう結婚して6年だし、ジャンももしかして……と思って……」
「誕生日ぐらい憶えているさ。……だが、済まないが、来月のその時期にアジア連邦との会談があって、アジア連邦に行かなければならないんだ」
「あら。残念」
   そう言いつつも、フィリーネは不満そうな表情はしていなかった。フィリーネは私の仕事をよく理解してくれていて、休みが少ないことについても不満を漏らすことも無い。
「それで……、以前二人で食事に出掛けた時、店先でお前が見ていたネックレスがあっただろう? あれを贈ろうかと思っているのだが、それよりも欲しいものがあるか?」
   こっそり買ってプレゼントしようかとも思ったが、もしかしたら別に欲しい物があるかもしれない。そう思って、尋ねてみることにした。
   半年前のあの時、フィリーネは随分気に入っていたようで、プレゼントしようかと思ったが、ミリィの誕生日が近いからいいと言ってそのまま店を去った。
   フィリーネは嬉しそうに微笑んだ。
「贈り物なんて充分よ、ジャン。貴方が誕生日を憶えていてくれただけで嬉しいから」
「誕生日の贈り物ぐらいそう遠慮するな」
   フィリーネは微笑して、ありがとう、と言った。その様子だと、ネックレスのことはまだ頭にあったのだろう。
「あ、そういえば昨日、エミーリアさんに会ったのよ。ウィリーのお迎えの途中で偶然会って」
   フィリーネは傍と思い出したように言った。ハインリヒの妻である夫人とフィリーネは、年が近いこともあって仲が良い。
「夫人も変わりないか? 今週はハインリヒとも会っていないのだが……」
「ええ。ちょうど病院帰りで、性別が判明したのですって。男の子らしいわよ」
   ハインリヒの許に子供が出来たということは、ハインリヒから聞いて知っていた。少し気恥ずかしいですが――と言いながら教えてくれたハインリヒは嬉しそうで――。
「男の子なら、間違いなくロートリンゲン家の後継者だな。ハインリヒも喜んだことだろう」
   何よりもミクラス夫人やフリッツ達が、後継者が出来たと騒いでいることだろう。
「男の子も良いけど、女の子も欲しいって仰ってたわ」
「まあまだハインリヒは若いから、二人目を望めば女の子に恵まれるかもな」
「お父さん! 庭に出て一緒に遊ぼう!」
   窓からウィリーが顔を覗かせる。解ったと頷いて立ち上がる。


   平穏な毎日のなか、ふと思う。
   7年前、フェルディナントが大きな決断を下していなければ。
   アンドリオティス長官を逃がさなければ――。
   この国は今とはまったく違っていた。それに私自身もこんな穏やかな生活を得ることは出来なかっただろう――と。


【End】


[2010.10.23]
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