我が家の王様



「……うん……?」
   軍服の内ポケットにいれてある筈の携帯電話が無い。確か、最後に携帯電話を取り出したのは、帰宅前に家に電話をかけた時だ。車に乗ってからのことだから、ポケットに無いということは車の中だろうか。
「ジャン? 何処かへお出掛け?」
   車庫に向かおうと鍵を持って出た時、フィリーネが声をかけてきた。我が家の愛犬のヴィクターも、とことこと側に寄ってくる。
「あ、いや。車の中に携帯を置いてきたようだから、取りに行ってくる」
   一緒に外に出ようとしたヴィクターを玄関で待たせておいて、車庫に向かう。車を開けて探してみたが、座席の何処にも携帯は落ちていない。足下にも落ちていない。
「……何処にも落としていない筈だが……」
   外で携帯電話を落とすことは無い筈だ。最後に使ったのは車の中――。車から降りる時に落としたにしてもこの辺にある筈――。


「ジャン。電話が入っているわよ。フェルディナント様から」
   車内を隈無く探し、もう一度部屋のなかを探していたところへ、家の電話が鳴っているのが聞こえた。程なくしてフィリーネがやって来て、フェルディナントからの電話だということを告げた。
「フェルディナントから?」
   どうしたのだろう――。
   一旦探すのを止めて、電話口に向かう。もしもし、と応えると、フェルディナントは何かあったのですか――と尋ねて来た。
「何か……とは?」
「え? 今し方、私に電話をおかけになりませんでしたか?」
「……私が?」
   電話など――かけていない。
「今、もう一度確認してみましたが、やはりヴァロワ卿の携帯からの着信ですよ。何事も無ければ良いのですが、電話先で無言だったので、何かあったのかと思いまして」
「携帯からの着信で……、無言?」
「ええ」
   妙だ。
   今、手許に携帯が無いのに、何故フェルディナントの許に発信が――。
「ヴァロワ卿?」
「……実は携帯を探していたところなんだ。……参ったな。軍の電話番号が登録されているのに……。済まない、フェルディナント。また後で連絡する。まずは業者に頼んで発信と着信を止めて貰う」
「解りました。ではまた」
   フェルディナントとの電話中に、誰かが電話をかけてきていた。誰だったのか、履歴を探ってみるとウールマン卿だった。すぐにかけ直すと、ウールマン卿は何かあったのかと問い掛けてくる。
「……もしかして、ウールマン卿の許にも私から発信が?」
「30分前に携帯から着信が入っていたが……」
「……すみません。実は携帯を無くしていまして……」
   事情を話すと、すぐに電話を止めるようウールマン卿は言った。その通りだ。先に電話を止めなければ――。


「あ! ウィリー、駄目よ!」
   電話会社に連絡をいれようとしたところ、フィリーネの声が聞こえて来た。ウィリーが何か悪戯をしでかしたのだろう。
「ジャン! ジャン!」
   フィリーネが慌ただしく私を呼ぶ。何かあったのだろうか。
「どうした?」
   呼ばれるままに先に部屋に向かった。小さなウィリーの前にフィリーネとヴィクターが座っていた。
   そしてウィリーの手許には――。

   私の携帯があった。
   ウィリーが持っていたのか。しかし一体どうやって――。
   フィリーネは携帯を返すよう告げる。しかしウィリーは首を横に振って、手放そうとしない。
「ウィリー。それが無いと困るんだ。返してくれないか?」
   側に寄ってそう告げても、ウィリーは首を横に振った。そうして楽しそうに携帯のボタンを押す。それを見たフィリーネが、小さな手から携帯をさっと取り上げた。その鮮やかに素早いこと。おそらくこれまでにも何度かこんなことがあったのだろう。
   だが、途端にウィリーは大声で泣き始めた。玩具を取り上げられたと思ったのだろう。
「ジャン。隠して」
   フィリーネはそっと私に携帯電話を手渡して言った。フィリーネが抱き上げても、ウィリーは泣き止まなかった。
「ごめんなさい。まさか携帯に手を出すとは思わなくて……」
「いや、私が不用意なところに置いていたのだろう。外に落として来たかと思ったが、家の中で安心した」
「発信して迷惑がかかっていなければ良いけど……」
   フィリーネの言葉に苦笑する。少なくともフェルディナントやウールマン卿には発信していたようだから――。
   履歴をみると、他にもハインリヒや副官の中将、軍務局の私の机にまで発信している。あとで電話をかけて詫びておかなければならない。
「ウィリー。貴方には貴方の玩具があるでしょう?」
   フィリーネはあやしながら、側にあった車の玩具を取り上げる。ウィリーは首を横に振って泣いていた。
   余程気に入ったのだろう。考えてみれば、携帯電話は小さいものだから子供の眼につくサイズでもある。
   携帯をさっと操作する。履歴を消し、データカードを取り出す。
「ほら、ウィリー」
   データを抜き取った電話を差し出すと、ウィリーは泣き止んで、それを手に取った。
「ジャン。携帯が壊れてしまうわよ」
「構わないよ。ウィリーが折角見つけた玩具を取り上げるのも可哀想だからな。データだけ引き抜いておいた」
「でも……」
「古い携帯があるから大丈夫だ。データカードを入れれば良いだけだから」
   泣き止んだウィリーは両手で確りと携帯をもって、ボタンを押す。ボタンを押したら光るから、それが楽しいのかもしれない。
   フィリーネがソファの上に下ろすと、ウィリーは大人しくそれで遊び始める。
「先刻から大人しいとは思っていたのだけど、まさか貴方の携帯を悪戯しているとは思わなかったわ。電話なんて興味を示したこともなかったのに……」
「子供の興味は移ろっていくものだ。……考えてみたら、帰宅して此処で上着を脱いだんだ。その時に落ちてしまったのだろう。それをウィリーが見つけて……」
   ウィリーは此方を見て、満面の笑みを浮かべて見せる。邪気の無い笑顔を向ける。


   ウィリーはその後暫く、携帯で遊ぶことに夢中だった。携帯の次は本に落書きを施すことに興味を示し始めた。フィリーネや私の眼を盗んで、本に線や記号を描いていく。読みかけの本を開いた時に赤く塗りたくられたページが出て来た時には、言葉を失ったものだった。
   我が家は当分、子供が王様だな――そんなことを考えながら、楽しそうに私の隣で絵を描くウィリーを見遣った。


【End】


[2010.9.29]
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