Family〜My Son



「お疲れ様です。ヴァロワ卿」
   アジア連邦で開催されている国際会議常備軍の司令官会議が終わったのは、午後9時のことだった。その前は陸軍と海軍に分かれての会議で、今日は朝から数えると6つもの会議が連続していた。しかも一つ一つの会議が重要な会議で気の抜けるものではなかったから、些か疲れが溜まっていた。
   ヴァロワ卿も、漸く一日が終わったな――と息を吐いた。食事を摂りに行きましょう、と促した時、ヴァロワ卿が不意に胸の辺りに手を当てた。携帯電話のバイブレーションが鳴っているようだった。
「済まない。少し待ってくれ」
   ヴァロワ卿は携帯電話を耳に翳しながら、廊下の端に移動する。今、会議が終わったところだ。どうした――とヴァロワ卿の声が聞こえて来た。おそらく、奥方なのだろう。出張中も毎日電話をかけているらしい。
「え……?」
   そのヴァロワ卿が驚いた声を挙げ、そして黙り込んだ。動揺しているようにも見える。何かあったのだろうか。

「ロートリンゲン大将、お疲れ様です」
   背後から声をかけられて振り返る。共和国のマームーン大将だった。マームーン大将こそお疲れ様です――と返すと、ヴァロワ大将は御一緒ではないですかな、とマームーン大将は言った。
「今、電話中なのでこの場で待っているところです」
「そうですか。いや、ヴァロワ大将が御結婚されたという話を聞きましてな」
「ええ。6月に挙式を……」
   その時、ヴァロワ卿が携帯を収めながら戻って来た。マームーン大将に挨拶をすると、マームーン大将が微笑みながら言った。
「遅ればせながら、御結婚、おめでとうございます」
「ありがとうございます。この年になって少々気恥ずかしいですが……」
   目出度いことは良いことです――とマームーン大将は鷹揚に頷きながら微笑む。
「次は御子ですな。ヴァロワ大将もそうお若くはないのだから、お早い方が良い」
「あ……、え、ええ……」
   ヴァロワ卿は曖昧に笑みを返す。マームーン大将はなかなか自分に子供が授からなかったことを話し出した。結婚してから10年、諦めかけていた頃に女の子が誕生したらしい。
「ちょうどこの近くに子宝に恵まれるという寺がありましてな。半信半疑ながらも妻とこの連邦まで足を運んだのですが、その直後に子供が出来たのです。貴卿も時間があったら、行ってみると良い」
   ヴァロワ卿は微笑みながら、そのような寺があるのですね――と返した。
   結婚してまだ半年。子供を望むには早いような気がするが、マームーン大将が言ったようにヴァロワ卿も若くは無い。今年、子供が出来たとしてもその子供が成人する時には、ヴァロワ卿は66歳――。確かに子供を望むなら、急ぐ必要がある。
   マームーン大将が去ってから、ヴァロワ卿は何か落ち着かない様子だった。どうかしたのか尋ねても、何でも無い、という回答が返ってくる。


「もしかして、マームーン大将が仰っていた寺に行くつもりですか?」
   宿泊中のホテルに程近いレストランで、共に食事をしていても何か考えている風だった。もしかしたら寺に行く時を見計らっているのだろうか――そう考えて、聞いてみたところ。
「いや、違うんだ」
「ですが、いつものヴァロワ卿らしくなくて……。何か悩み事でも?」
「悩んでいる訳ではないんだ。……その、な」
   ヴァロワ卿は言いにくそうに言葉を濁して、フォークとナイフを置いた。
「……聞いてはならないことでしたら、無理には聞き出しませんが、あまり考え込むのは……」
「……そうではない。……先刻、電話がかかってきただろう。あれは妻からだったのだが……」
   頷き返すと、ヴァロワ卿は声を潜めて言った。
「実は……、子供が出来た……」





   返す言葉を失う――というより、驚いて言葉が出なかった。
「まだ妊娠初期の段階らしいが……。風邪気味だと思って病院に行ったら判明したらしい。……まさかこんなに早く恵まれるとは思わなかったから、驚いて……」
「お目出度いことではないですか……。私も驚きましたが……」
「心の準備が出来ていなくて、どう反応して良いかも解らなかった……。そんな時にマームーン大将からあのような話を聞かされたから、焦ったぞ」
   確かにどう反応して良いか解らず困っているようだった。苦笑すると、ヴァロワ卿は顔を赤らめて、笑うな、と苦々しく言った。
「すみません」
「……正直、実感が湧かない。去年まではまさか自分が結婚するとは思わず、子供が出来るとは夢にも見ていなかったからな」
「おめでとうございます、ヴァロワ卿」
   ヴァロワ卿は少し照れながら、ありがとう――と言った。まったくヴァロワ卿は去年からついているというか、羨ましいというか――。
「ヴァロワ卿の許に御子が誕生したら、ミクラス夫人が私に発破を掛けそうですよ」
「だろうな」
「先日はルディの所に縁談を持ち込んで、ルディが逃げ回っていましたから」
   せめてこの一年は結婚しない――と宣言したルディに、ミクラス夫人は激怒した。折角の良縁を逃がすおつもりですか、お父上様がその御年の時にはハインリヒ様もお生まれになっていましたよ――と。そしてミクラス夫人の怒りは俺にも及んで……。
『ハインリヒ様も! お早く身を固めて下さいませ! このロートリンゲン家のお世継ぎはどうなるのですか!』


「……まあ、先程のマームーン大将の話ではないが、確かに後継者を残すのなら早い方が良い。ハインリヒ、お前の気持ちに整理がついていないことは解っているが……。私の年で子供が出来ても、子供が成人するまで面倒を見てやれるかどうか解らないからな」
「平均余命より8年長く生きれば良いのです」
   手を挙げてウェイターを呼び寄せる。ワインを一本所望した。
「ハインリヒ。明日も朝から会議だ。あまり飲むと……」
「お祝いの一杯ぐらい良いではないですか」
   そうしてこの日、ヴァロワ卿と祝杯を交わし合った。ヴァロワ卿は終始照れていたが、それでも嬉しそうな表情を見せた。





   年が明け、冬が過ぎて暖かな春がやって来た3月、ヴァロワ卿の許に男児が誕生した。ルディと共に出産祝いの品を持って、ヴァロワ卿の家を訪ねた時、嘗てのヴァロワ卿の家とはまったく違う光景が広がっていた。
   リビングルームに積み上がっていた本は無くなり、代わりにベビーベッドが置かれてあった。子供を抱いたヴァロワ卿は嬉しそうで、軍での姿とはまるで違っていて――。
   司令官ではない、父親の顔が其処にあった。
   そうした姿に少しだけ――、羨ましさを感じた。


【End】


[2010.8.26]
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