今、此処にある現実



   眼の前に、ルディの姿があった。
   帝国陸軍部長官ジャン・ヴァロワ大将の隣に立っていた。
   そんな位置に立っているということは――、つまり、ルディは……。

   ルディは帝国の宰相だったのか。

   帝国の宰相のミドルネームがルディと同じだと気付いていたのに、マルセイユで出会ったルディとは違うと考えていた。
   思えば、ムラト大将が語る宰相の外見や印象とルディのそれとは同じだったのに。何故、俺はその宰相がルディかもしれないという可能性を否定し続けたのだろうか。
   宰相がルディかもしれないと解っていれば、今この場でもう少し心の準備が出来ていたかもしれないのに。

「此方は我が国の宰相、フェルディナント・ルディ・ロートリンゲン閣下だ」
   帝国陸軍部長官ヴァロワ大将は、隣に立つルディのことをそう紹介した。ルディは黙って俺を見ていた。
   ルディは、もしかしたら俺のことを知っていたのだろうか。マルセイユで俺を助けたのも、俺が長官だと知っていたからか。
   否、今はそのようなことよりも――。

「ヴァロワ大将。現時点における全ての戦闘を停止願いたい」
   シーラーズではまだ兵士達が戦っている筈だ。少しでも損害を減らさなければ。
「申し出を受け入れよう。ブラマンテ中将、シーラーズの部隊に停戦を伝えろ。また停戦後は共和国軍に対して一切手出しをしてはならない。徹底させろ」
「御意」
   ブラマンテ中将と呼ばれた男が一礼して、この場を去っていく。宰相閣下、とヴァロワ長官がルディを呼んだ。
   宰相閣下、か――。

「これから停戦協議に入ります。御同席願えますか?」
   帝国宰相の噂は国内でも色々と囁かれていた。25歳にして皇帝の信任を得て、外交官から宰相となった。元外交官ということもあって交渉が上手く、また政治経済に限らず多岐にわたる知識を備えた人物だと聞いていた。
   そうした評価には多少の誇張があるものだが、実際に宰相と会談したムラト大将は本物だと評価した。ムラト大将の話を聞く限りでは、宰相が皇帝の補佐役であれば、侵略や強硬外交のような事態には至らないだろうと考えていた。それが、今回の侵略は宰相の指揮の許で進められた。
『帝国は侵略しない』
   俺の前でそう明言していた本人が、あのルディが、侵略を指揮した。

「……解った。……アンドリオティス長官には機内に御同行願う」
   ルディは静かにそう言った。俺を真っ直ぐ見つめていた。何の感情も無いような表情で。
   無用な考えは追い払おうと、息を吸い込む。機内に同行しろということは、俺の身柄を帝国に護送するつもりなのだろう。ムラト次官には迷惑をかけることになるが、交渉次第では現段階での捕虜を取り戻せるかもしれない。
「私はスピロス・ハリム少将だ。協議ならば此方で会議室を用意しよう」
   口を開きかけた時、ハリム少将がそう言い放った。何としても俺を守ろうとしているのだろう。
「既に機内に用意は整えてある。それが不服ならば、この場で此方の要望を伝えよう」
「な……っ」
   ハリム少将が身を乗り出して抗議しかける。それを制して言った。
「ではこの場で貴国の要望を聞こう」
   ヴァロワ大将は宰相閣下、とルディを促す。ルディは一歩前に出て、帝国の要望を告げた。
   一つめ、シーラーズならびにシーラーズにおける権益全てを帝国に割譲すること、ふたつめ、軍部長官が捕虜として帝国に同行すること。
   ハリム少将とラフィー准将は不当だと声を挙げる。彼等は俺の身柄を捕虜とすることに怒っているのだろうが、考えようによっては停戦条件として悪い条件ではない。シーラーズは早期での放棄を覚悟していたのだから、無理難題ということはない。
「そのような要望は到底受け入れられな……」
「ハリム少将」
   猛抗議するハリム少将を制止する。ハリム少将は、いけません、と俺に強く言ってから、ヴァロワ大将に言い放った。
「私が捕虜として帝国に行こう。将官であれば貴国の望む捕虜足り得る筈だ」
「大将級、もしくはそれ以外の将官を2名要求する」
「私はアスラン・ラフィー准将、貴国の望む将官級だ。ハリム少将と私が捕虜となる」
   ラフィー准将までもが捕虜となることを名乗りでる。

   俺は――。
   俺は愚かだった。バース中将の言う通り、此処から速やかに首都に戻らなければならなかった。白兵戦での自分の力を過信していた――。

「ハリム少将、ラフィー准将。下がれ。命令だ」
「長官……!?」
「シーラーズ割譲と私が帝国に赴けば、撤兵願えるということだな?」
「要望を飲んでいただけるなら、一時撤退を約束しよう」
   ルディはそう言った。俺の身柄と引き替えに、一時撤退が求められる、と。
   一時的にも撤兵してもらえれば、軍の体勢を整えることが出来る。ムラト大将が必ず上手く対処してくれる。
   この場で俺が出来ることはあとひとつだけだ。ヴァロワ大将という男は、先程譲歩を見せた。一か八かでもうひとつ条件を出してみるか――。
「もうひとつ約束していただきたい。撤退の際、私以外の人間を捕虜としないこと。無論、これまでに貴国が捕縛したであろう兵士達も返していただきたい」
   ハリム少将とラフィー准将が頻りに思いとどまるよう言っていたが、俺はただルディとヴァロワ大将を見ていた。ルディとヴァロワ大将が俺が考えているような人物ならば、多分、この要求を飲んでもらえる。
   ルディは静かな口調で言った。
「了解した。ヴァロワ大将、捕虜の解放を」
「……感謝する」
   ああ、やはりルディなのだな――と思った。妙なことだが、そのことに少しほっとした。
   手に持っていた剣を放る。抵抗の意志のないことを示す。
「長官……!」
「ハリム少将、ラフィー准将。長官命令だ!」
   思えば命令権を行使したのはこれが初めてかもしれない。強い口調で言い放つと、ハリム少将が茫然と俺を見た。
「ハリム少将。事の次第を本部に伝えろ」
   ラフィー准将にも早く手当を、と小さな声で言ってから彼等に背を向ける。


   不思議と恐怖は無かった。眼の前に居るのがルディだからかもしれない。何よりも心を犇めいているのは申し訳無いという気持だった。
   バース中将に、ギラン中将に――。
   帝国軍の兵士達が一斉に銃口を向ける。トニトゥルス隊といったか。道理で手応えがあると思ったはずだ。

「銃を下げろ!」
   ヴァロワ大将は厳しく言い放った。銃口が一斉に下げられる。
   ルディとの距離が縮まる。ルディはその時、眼を逸らした。


   つい昨日まで、ルディとはまた会って話をしたいと思っていた。戦争が終われば、また会える――そう思っていた。
   こんな形で再会したくなかった。予想もしていなかった。
   俺達は、知り合わねば良かったのか。あのマルセイユで。


【End】


拍手お礼再録---[2010.7.18]
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