兄と弟


   窓が夕陽で赤く染まる。
   いつも部屋に備え付けられたバルコニーから外を眺めていた。
   ロイは学校から帰ってくると、まもなくして友達が遊びに誘いに来て、外に遊びに行く。バルコニーに居る私に気付いたロイは、私に向かって手を振ってくれる。私も手を振り返す。
   子供心ながら、ロイは外に出られない私に気を遣ってくれているのだろうことは、解っていた。私自身も諦めていた。私はロイのように学校にも通うことも出来ず、外に遊びに行くことも出来ない。いつもいつも仕方が無いのだと諦めていた―。

   だが、子供の頃にそうしたことが諦めきれる訳がなかった。楽しそうなロイの声や他の子供達の声を聞くたびに、無性に口惜しくなった。羨ましかった。何故、ロイの身体は丈夫で、私の身体はそうでないのか―。

   そうした鬱憤が溜まって、あるとき私はロイを誘って邸の外に出た。私は父母の許しを得なければ外に出てはならないと言われていたが、許可を得ることなく、ロイを誘い出した。
   体調も悪くないから、それに本当に少しだけだから―私がそう告げると、ロイは漸く頷いて笑顔を浮かべて言った。いつも僕が友達と行く秘密基地を教えてあげる―と。ロイの言う秘密基地は邸から少し離れた公園の裏側にあると言う。
   外に出るときは決まって母かミクラス夫人が付き添っていたから、ロイと二人だけで邸の外を歩くのは初めてだった。私は意気揚々と歩いていた。邸の庭ならまだしも絶対に一人で外に出てはならないと言われていた。外の世界はとても新鮮だった。同時に、体調の悪い時は仕方無いが体調の良い時は外出しても大丈夫ではないかと思った。
   だが、具合が良かったのは道半ばまでだった。上から降り注ぐ太陽の光が暑くて、徐々に息が上がってきた。同じように歩いているロイは汗すら浮かべていない。それどころか秘密基地について楽しそうに語り、あの丘の上だよと指差して軽く走り出した。
   ロイに遅れてはならない―そう思って、私も走り出した。丘の途中まで行っただろうか。酷く息が上がって苦しくなり、足が縺れ、座り込んだ。先を行っていたロイが慌てて引き返し、頻りに大丈夫かと問い掛けた。
   それからのことはよく憶えていないが、私は尚も基地に行くと言って歩き出そうとしたらしい。私は倒れて、気付いた時には寝室に寝かされていた。ロイが助けを呼んで来てくれたらしい。

   父も母もミクラス夫人も皆が私の行動を軽率だと叱った。僕だって外に出て遊びたかった―私は初めて子供らしい言葉で反論した。眼からは涙が溢れ出た。それまで大人の言うことに逆らったことは無かった。皆の言う通り、部屋で大人しく一日を過ごしていた。だから私が反論した時、母とミクラス夫人は一瞬黙り込んだ。ところが父は違った。
『お前は長くは生きられない』
   母が父に注意を促したが、父は言葉を止めなかった。
『成人に達するまで生きられるかどうかも解らない。死期を早めたいのなら、勝手な行動を取るが良かろう』
   当時、私はまだ10歳にも満たなかった。長く生きられないということは、この時初めて聞かされたことで、9歳の私には衝撃が大きすぎた。

   私はロイのようには生きられないし、長く生きることも出来ない。
   それを知った日から、またバルコニーでロイの姿を眺める日々が始まった。羨望はあったが、口惜しいとは思わなくなっていた。命は惜しかったし、ロイとの差は思い知らされていた。今思えば、このときはじめて私は本当の意味で、諦めたのだろう。
   そして自分の体質のことを知った時、私は父の言っていた言葉―成人に達するまで生きられるかどうかも解らない―の意味を知った。この体質で生まれると、成人に達するまでに死んでしまう者も多い。それに成人を迎えても突然死に見舞われることもある。
   そうしたことを知った時から、私は悔いの無いように生きようと誓った。幸いに年と共に体質が改善していって、高校にも通えるようになった。それでも死を意識しない日はなかった。


   私の隣には常に死が寄り添っていた。謂わば死神と共に私は成長してきた。
   いつ死んでも仕方が無いと思っていたのは、いつやってくるか解らない死の恐怖を乗り越えるための方便でもあった。


「……ルディ」
   ベッドに横たわっていると、ロイが少し気まずそうな様子で部屋に入ってきた。
「昨日は少し強く言いすぎた。……だが、俺は間違ったことを言ったとは思っていない。ただお前にもう少し……」
「解っているよ、ロイ」
   いつ死んでも仕方が無い―これは絶対に言ってはならない言葉だった。昨日、ロイに叱られて気付いたことだった。
「私はお前やミクラス夫人が心配していることは解っているつもりで、解っていなかった。心配をかけないために、まずは私が私自身を大切にしなければならないのだということをな」
   ロイはほっとしたような笑みを浮かべ、私のベッドに腰掛けた。体調は大丈夫かとあの時のように私を気遣いながら―。


拍手お礼、再録[2009.11.21]