フリッツに案内されながら、庭を抜け部屋へと進む。フリッツは一度立ち止まり、此方を振り返って言った。
「ゲオルグ様がいらしていて、是非ともお話を伺いたいと仰っているのです」
   ゲオルグ――ゲオルグとは誰だったか思い出せず、フリッツに尋ねるとフェルディナント様、ハインリヒ様の従兄に当たる御方です、と教えてくれた。
「……ああ、母方のコルネリウス家の……」
「ええ。フェルディナント様がこのような事態となりましたので、当家からゲオルグ様に連絡をいれました。すぐ此方に来て下さり、ゲオルグ様の方から宮殿に申し入れを求めていただいているのですが、取り合ってもらえず……」
「無理も無い。ロートリンゲン家の関係者ならびに宰相と懇意にしていた者、そして陛下に宰相の助命を嘆願した者はアクィナス刑務所に近付くことすら禁じられてしまった。ロートリンゲン家から如何に申し入れをしても聞き届けられないだろう」
「助命……!?ヴァロワ大将閣下、助命とは一体どういう……」
   フリッツはすぐさま問い返したが、すぐに我に返った様子で一度息を吐く。じっくりお話をお聞かせ下さい、とだけ言って再び廊下を進み、何番目かの扉の前に立った。ノックして、私の来訪を伝える。

   どうぞ、と部屋の中から声が聞こえて来た。フリッツが扉を開けると、其処には中年の男が立っていた。中肉中背で、優しげな目元が二人の母親に少し似ているような、そんな印象を受けた。
「ヴァロワ大将閣下。ゲオルグ・コルネリウスと申します。このたびはフェルディナントが大変なご迷惑をおかけしたとのこと、申し訳無く思っています」
   彼は丁寧に一礼して謝罪の言葉を述べる。謝っていただくことは何もありません――と私は答えた。それに私は宰相のために何も出来なかったのだから、そのような態度を取られると、却って心苦しかった。
「ですが……、フリッツから聞いた話では長官を解任されたと……」
「何故……、そのことを……?」
   私はまだそうしたことは話していなかった。すると側に居たフリッツが、フォン・シェリング家から連絡があったのです――と告げた。
   フォン・シェリング家から直接――?
「新しく長官に就任したと、つい先日連絡がありました。陸軍部長官はヴァロワ大将閣下ではないのかと尋ねたところ、閣下は陛下の不興を買い、解任されたと……」
   わざわざロートリンゲン家に連絡をいれるようなことでもないだろう――そう思ったが、口にするのは止めておいた。


   考えてみれば、これまでフォン・シェリング大将は長官となれなかった。
   8年前、前長官の退官に伴って、大将として5年以上の職歴を持つ人間が選出され、そのなかで名前が挙がったのが私とフォン・シェリング大将だった。あの時、彼は自分が長官となることを信じて疑わなかっただろう。おそらく私は彼ほど、長官という任務を欲していなかった。消極的な私の背を押したのは、他ならないロートリンゲン元帥――宰相とハインリヒの父親――だった。そして、最終的な試験の結果、私が長官の任命を受けることとなった。
   そうしてみると、フォン・シェリング大将はずっとロートリンゲン家を恨んでいた――否、妬んでいたのかもしれない。ロートリンゲン元帥がまだ軍に在籍していた頃には、二人の仲がさほど取りだたされることはなかった。どちらかといえば、私の方がフォン・シェリング大将に疎まれていた。もしかすると、元帥とフォン・シェリング大将の仲が悪化したのも、元帥が私を影ながら支援していたこともしているのかもしれないが――。
   それにしても、今のロートリンゲン家にわざわざ長官となったことを伝える必要もないだろう。


   ちょうどその時、ミクラス夫人が盆を持って入室した。彼女は暗い顔をしているせいか、いつも以上に老けて見えた。
「事の発端はお話しした通り、宰相が過日の戦争で捕虜とした新トルコ共和国の長官を、独断で逃がしたことです」
   はじめから順序立てて説明した方が良いだろう――そう考えた。コルネリウス卿は痛ましそうな表情で、時折頷きながら、私の話を聞いていた。宰相が長官を無事に共和国領のマスカットへ行かせたが、宰相自身はその場に留まった旨を告げると、コルネリウス卿は沈痛な面持ちで溜息を吐く。
「……フェルディナントのことです。逃げてはならないと考えたのでしょう」
「おそらくは……」
   私自身、宰相のそうした一途な性格を解っていた筈だ。だから亡命するよう促した。思い返せば、あの時、宰相は頷かなかったではないか――。
「実は私は、宰相が共和国軍部長官を連れて逃げた直後に、先回りをして宰相と会ったのです。覚悟はあると告げる宰相に、共和国への亡命を促して先を行かせました。……捕まったと聞いた時には酷く後悔しました。あの時、何としても連れ帰るべきだったのではないか――と」
   だが連れ帰れないと思ったのも事実だ。宰相はきっと私を倒してでも突き進んだ。事実、そう言っていたのだから。
「亡命してくれた方が良かった。私もそう思います。それに閣下、フェルディナントは自分で決断したことを曲げる人間ではありません。きっとはじめから亡命する気もなく、全てを覚悟していたのでしょう。……この事件の直前に珍しく私の許に電話が来たのです。皇太子として宮殿に行くことになるから、ハインリヒが戻るまでの間、ロートリンゲン家のことを頼む――と。あれは今回のことを決心してのことだったのでしょう」
   亡命してしまえば良いものをフェルディナントは――と、コルネリウス卿はその後の言葉を収める。宰相が捕まってからの経緯についても、ひとつひとつを語った。宰相が負傷したこと、謁見の間での皇帝とのやり取り――それらを聞き終えると、彼は深く溜息を吐いた。
「……アクィナス刑務所での懲役50年という刑、フェルディナントの不敬罪に対して科されたものでしょうが……。閣下も御存知の通り、フェルディナントは身体が丈夫ではありません。加えて傷が癒えていない状態だったことを考慮すると……、フェルディナントの身体のことが気掛かりで……」
「大将閣下、アクィナス刑務所でのフェルディナント様の御様子について、何かお聞きになってらっしゃいませんか……?」
   フリッツが尋ねる。首を横に振ると、フリッツは眼を伏せた。
「ヴァロワ様、何とかフェルディナント様をお助けする方法はありませんか……?フェルディナント様の代わりに私が入牢しても構いません……!あのお身体で50年など、陛下がご乱心遊ばされたとしか……!」
   泣き崩れるミクラス夫人をフリッツがそっと宥める。気を落ち着けて、部屋の外に出るように促した。

「アクィナス刑務所は不敬罪や国家転覆を企てた社会運動家達を収容する、厳しい刑務所であることを聞いています。ですが内部の詳細について調べてみようとしましたが、何の情報も得られません。閣下は何か御存知でしょうか?」
   コルネリウス卿は具体策を講じるつもりなのだろう。今日、ハイゼンベルク長官から聞いてきたこと全てを告げると、コルネリウス卿は神妙な顔つきでそれを聞いていた。

   アクィナス刑務所では一切の外部情報が遮断される。血縁者との面会も許されない。電話を使ったり、手紙を書いたりすることも許されない。受刑者は起床して食事を摂り、その後の時間は全て作業に費やすことになる。
『宰相の助命をしたが、その結果がアクィナス刑務所ならば、死刑の方が増しだったかもしれん』
   じわじわと人を精神的に肉体的に追い詰めて、死なせるようなものだ――とハイゼンベルク卿は言っていた。
   だが――、宰相を死なせる訳にはいかない。そのために、この状態で何か出来ることは無いか――。
「アクィナス刑務所からフェルディナントを出すことが出来ないのなら、アクィナス刑務所の環境を整えれば良い――私はそう考えています。ですが、閣下のお話では、ロートリンゲン家からは一切の支援が出来ないとのこと」
「ロートリンゲン家の動向は軍が見張っている筈です。宰相は最後までこのロートリンゲン家を守った――それを考えると、ロートリンゲン家が行動を起こすのは控えた方が宜しいかと」
「ええ。……ですが、その他の筋ならば気付かれないでしょう」
「その他の筋とは……?」
「私の知人に頼み、その知人からアクィナス刑務所への援助を行ってもらいます」
「コルネリウス卿……」
「此方でやれるだけのことはやってみます。……閣下、貴方は御自分の任務を遂行なさってください。これ以上、ロートリンゲン家と関わると、貴方にまで嫌疑がかかるでしょう」
「私も出来る限りのことはさせていただきます。今回の顛末は軍務省に限らず他省でも議論となっています。もしかしたら何かひとつ事態が動けば、宰相を助けることが出来るかもしれません」


   私はたったひとつのことに賭けていた。宰相を助け出すにはそれしかない。ただ同時にそれは、帝国を混乱に陥れることを望むことになる。
   数日中に、帝国が共和国への侵略を再開する。そうなると共和国も黙ってはいないだろう。宰相が言っていたように同盟を駆使して、帝国の侵略を防ぐ筈だ。
   その共和国が、帝国に侵攻してくれば――。
   帝国内は混乱する。それに乗じて宰相を助け出すことが出来るのではないか。安直な考えかも知れないが、それしか方法が無い。

   そして何よりも、あのアンドリオティス長官が何か行動に出るのではないか――そんな気がする。部下達を制して自分が捕虜となった人物だ。それだけの人物なら、自らの危険を顧みず共和国に帰させた宰相のことも放ってはおかない筈だ。



   このままでは、帝国はおそらく滅ぶだろう。
   私は今迄帝国を守る立場の人間だった。しかし、今後もその立場に留まるならば、それは同時に宰相を見捨てることにもなる。
   どうしたいのか答えははっきり決まっているのに、まだ一歩目を踏み出せないでいる。
   私自身も決断しなければならない刻が着実に迫っているのに――。


[2010.2.28]