「せめて何とか面会出来ないでしょうか?」
「……今回のことは他の案件と異なる。陛下の裁量で決定されたことだ。宰相への面会は一切許さぬと陛下は強く命じられた。……これでは私の権限でもどうにもならない」
「ハイゼンベルク長官……!」
「私でさえ、アクィナス刑務所への出入りを禁じられた。ましてやヴァロワ大将、宰相と親しくしていた貴卿との面会は無理だ」

   宰相がアクィナス刑務所に護送されて三日が経過した。その直後に、私は長官を解任され、長官となる前の職――軍務局司令課長官に降格となった。
   軍務省における波乱はそればかりではなかった。新たに長官に任命されたフォン・シェリング大将は、意気揚々と大幅な人事を行った。ヘルダーリン大将が海軍部の長官に留まっているため、海軍部への手出しは出来なかったようだが、陸軍部で進歩派に与していた将官達が全員、本部から遠ざけられた。

   そのなかで、私が本部の司令課に留まっていられたのは奇跡的なことだろう。他の者達は皆、各地に転任を命じられた。陸軍部参謀本部長のウールマン大将でさえ、ラッカ支部へと赴くことになった。
『私のことは気にしなくて良い。ヴァロワ大将、君だけでも本部に残ることが出来ただけ幸いとしなければ』
   ウールマン大将は昨日の出発前、私にそう言った。何があろうともこの本部に留まるように、短慮を起こさないようにと彼は言い残した。
   しかし、私もいつ転任を命じられるか解らない。フォン・シェリング大将は人事権を全て掌握したのと同じ状態にある。少しでも気に入らないことがあれば、すぐに帝都外へ転任されるだろう。


   だが、そんなことはどうでも良い。
   一番気掛かりなのは宰相のことだった。あの日、メディナの病院から帝都への帰還が早いと思ったら、宰相は無理をして出立を早めたのだとコールマン少将が言っていた。
   そんな身体で、アクィナス刑務所での生活が耐えられる筈も無い。
   一刻も早く宰相を救う手立てを講じたいが、八方塞がりでどうにもならない。副宰相のオスヴァルトも今は権限を制限され、宰相を庇った長官達も幾許かの制限が付せられている。司法省のハイゼンベルク長官でさえ、宰相のことに関してはこれ以上踏み込むことが出来ないと言った。

「……ロートリンゲン家の家人達に対しても同じだ。宰相への面会は一切禁じられている。そればかりか、弁護士を付けることもだ。ロートリンゲン家が断絶されなかっただけ幸いだと考えるしか……」
   ロートリンゲン家には、宰相が護送されてすぐに連絡をいれた。事の概要は前もって伝えておいたが、懲役50年の刑という事態に執事のフリッツも言葉を失っていた。その日の夜にフリッツから再び連絡が入り、詳細を問われた。私はまだ残務処理のために本部に居て、さらにこの本部で詳細を語ることも出来なかったので、今日の夜、ロートリンゲン家に訪れることを約束した。
   その前に何とか宰相と面会出来るよう準備を整えておきたかったが、どうやらそれも叶いそうにない。
「解りました。御無理をお願いしました」
   司法省のハイゼンベルク長官まで、アクィナス刑務所への出入りが禁止されているとは思わなかった。皇帝に進言した宰相に味方したことが原因だろう。
   だが私としてはあの時、ハイゼンベルク長官まで出て来るとは思わなかった。
   ハイゼンベルク長官は守旧派に与しているから、どちらかといえば宰相を排除したいのだとずっと思っていたが――。
「ヴァロワ大将。今のところ、私に出来ることは何も無いのだ。申し訳無い。だが、今後も私なりに尽力するつもりだ」

   意外な言葉に思わず眼を見張った。悉く宰相と意見を異ならせていた人が、今度は宰相を助ける側に回るとは――。
「ありがとうございます。……ハイゼンベルク長官、ひとつ伺っても宜しいですか?」
「私が何故、宰相の助命嘆願に回ったか、か?」
「はい。私の知る限り、ハイゼンベルク長官と宰相は意見を対立していたように記憶しています。どちらかといえば、フォン・シェリング長官と同意見をお持ちの方だと思っておりましたので……」
   ハイゼンベルク長官は不意に表情を緩めた。彼のこんな表情は初めて見た。
「宰相と別の意見を持っていたことは確かだ。私は皇室あっての帝国だと考えている。その意見を変えるつもりは無い。……だがな、そうした私の考えとはまったく別の、貴卿や宰相のような考え方を理由無く否定はしない。宰相の言葉にも一理あることは度々あった。そうした意見の対立から、宰相とは何度も口論となったが、私は結構楽しませてもらった。この帝国で、彼のように筋の通った文言を真っ向から発言する人間は少ないからな」
   私自身、守旧派というだけでハイゼンベルク長官とは距離を置いていたが、この人は私が考えていた以上に、司法省長官として相応しい人物なのだと今知った。
   ハイゼンベルク長官は決して宰相を嫌っていた訳ではなく、きちんと宰相のことを評価していた――、そういうことになる。
「そうでしたか……」
「宰相となった当初は旧領主家の青二才がと思ったがな。だが……、今は陛下が宰相を選んだ理由が解る」
   宰相にこの話を聞かせてやりたいものだった。守旧派に与する人物でさえ、宰相のことをきちんと評価していたのだということを。
   それを今すぐ伝えることが出来ないのが、口惜しい。



   司法省から本部に戻ると、将官達が一斉に此方を見遣る。こうした視線は、長官となる前にはよくあったことだった。
   今日は素早く書類の処理を終えて宿舎に戻った。それから着替えて、ロートリンゲン邸へと向かう。
   宿舎を出たところで、背後に気配を感じた。ちらと見遣ると、2人の男が後を付けている。フォン・シェリング大将が私を監視するように命じたのだろう。
   さてどうしようか――。
   このままロートリンゲン家に直行せず、街に行って本屋でも覗くか。そして彼等が油断した隙にロートリンゲン家に向かおう。

   宿舎から街まで行き、行きつけの書店に入る。暫くして男達もやって来る。本を開きながら、彼等の様子をちらちらと見、彼等の視線が放れたところで、書店から速やかに出る。後は裏道を使って、ロートリンゲン家へと向かう。
   この道は、宰相が教えてくれた近道だった。道を何度も折れ曲がるので解りづらいから、男達は此処で迷ってしまうだろう。その隙に、ロートリンゲン邸に向かう。
   おそらくロートリンゲン家自体も見張られていることだろう。
   だがロートリンゲン家のように大きな家は、表の玄関とは別に、目立たない入口があるのではないか――そう考えて、歩きながらロートリンゲン家に電話を入れた。事情を話すと、執事のフリッツが裏側にある通用口を開けてくれるという。
   数分後、ロートリンゲン家の裏側にある通用口から邸に足を踏み入れる。フリッツが迎えてくれた。
「急にこのようなことを頼んで申し訳無い」
「いいえ。この邸も24時間監視されているようです。お帰りの際も此方で取りはからいますので……。何よりもお話を伺いたく……」


[2010.2.27]