レオンを共和国に送り届けたら、自分の身はどうなっても構わない。
   私はそう覚悟していた。覚悟していたことではないか。


   私は死を覚悟していた。
   処刑による死を。
   どのような刑を科せられても構わないと思っていた。だがきっと私は処刑となることにだけ覚悟を決めていたのだろう。
   覚悟が甘かったのか――。


『お前は死にたいのか、フェルディナント。そんな子供は要らない』


   父の言葉が蘇る。子供の頃、そうした言葉を何度か言われた。
   何歳の頃だったか――、風邪をこじらせて肺炎に罹り、絶対安静を告げられていた時期があった。呼吸器を装着されていたため、部屋を出るどころか、ベッドから降りることすらも制限された。
   子供にとってそれは過酷なことだった。ひとつ下の弟のロイは元気よく遊び回っているのに、私はベッドから降りることすら出来ない。懸命に耐えていたある日、ロイが私の部屋にやって来て、窓を開けた。今日はお祭りがあって花火が上がるんだ――とロイは教えてくれた。
   しかし、私の横たわるベッドの上からは花火の音が聞こえても、見ることは出来なかった。ロイは窓辺で花火の上がる様を楽しそうに見ていた。羨ましくて、ロイに出来ることが私には出来ないということが口惜しくて――。私は浅はかなことに、呼吸器を外して、ロイの居る窓辺へと向かった。
   少しぐらい大丈夫だと思っていた。ところが、10分ともたなかった。轟くような音と共に打ち上がる花火を見た時には、息苦しさに立っていることすら辛くなっていた。ベッドに戻ろうとした時にはもう遅かった。父上に怒られると思い、やっとの思いで数歩進んだ。ベッドに戻ろうとした。しかし、それ以上は歩けず、その場に蹲った。
   この日は母もミクラス夫人も不在で、父だけが邸に居た。ロイは倒れ込んだ私を見て、すぐに父に助けを求めにいった。
   父が部屋に到着するまでに私は意識を失っていたらしく、その辺りのことは憶えていない。目覚めた時にはベッドの側に医師と父、それに母が居た。ごめんなさい――私は掠れた声で父に謝った。しかし、父から返ってきた一言は、お前は死にたいのか――というきつい言葉だった。

   そんな子供は要らない――、この言葉は私には酷く堪えた。私は身体が弱いから、父に疎まれているのだとずっと思っていた。
『お前は自分を大切にしない。そんな人間が他人には大切にしてもらおうなど虫が良すぎる』
   私は自分自身を大切にしているつもりだった。
   だが、違う。
   父の言葉の意味が、今解った気がする。



「囚人番号5163番!起きろ!」

   看守の声が聞こえる。起きなければ懲役を履行出来ないとして処刑する――と告げる。
   私は――。
   起きなくては――。
   上半身を震える手で支える。ゆっくりと起こし上げる。早くしろ、と看守がまくし立てる。よろりとよろめきながらも、何とか鉄格子に捕まって立ち上がる。一歩踏み出そうとすると酷い眩暈に襲われて、倒れ込みたくなるのを懸命に堪えた。
   生きなければ――。
   生きよう――。こんなところで死んでは駄目だ――。
「早く歩け!」
   牢から外に出て集団から少し遅れながらもついていく。一歩一歩、壁を伝いながら歩いて行く。

   食堂に行くとパンと水を手渡される。食欲が無かったが、食べなければ体力を回復出来ない。一口食べ、水を飲み、手を止める。食べようと思っても、固いパンを咀嚼するのも気だるかった。
「きちんと食べておけよ」
   不意に何処からか声が聞こえて来た。アランだった。彼の声に励まされるように、飲み込んででもパンを食べた。
   朝食を終えると、休む間もなく作業に取りかかる。前回と似たような金属の部品を組み立てる作業だった。全身の寒気が止まないせいで、細かな作業は全く進まない。小指の先ぐらいの部品に細い穴が空いていて、其処に針金を通す単純な作業だが、震える手では全く針金が通らなかった。皆がさくさくと作業を進めるなか、私はほんの数個しか終えられなかった。
   それでも何とかやり遂げようと奮起して針金を片手に四苦八苦していると、隣から組み立て終わった部品が10個ほどころりと寄せられた。隣で作業するアランが何を考えてか、此方に部品を放ったようだった。そして大きく伸びをして、その手を引っ込める寸前、さっと私の許から未完成の部品を取っていく。
「アラン……」
   私語は禁止だと刑吏官が私に告げる。仕方無く黙って、手許の作業を続けた。暫くしてまた刑吏官が離れると、アランは先程と同じように完成品を私の許に寄越し、背伸びをする振りをして、私の許から未完成の部品を取っていく。
   それが繰り返され、私の作業も昼食の時間には何とか間に合うことが出来た。私より一足早くアランは隣の食堂に向かったが、その前にそっと私に囁いた。
「馬鹿正直に刑吏官に言うんじゃないぞ」
   作業を終えた部品を携えて刑吏官に提出し、朝の作業は終了する。食堂に向かい、アランの姿を探した。ジルと話をしているところだった。
「アラン……」
「早く座って食えよ。時間が無くなるぞ」
   食事の時間は15分と決められていた。私は5分遅れていったから、残り10分しかない。昼食はパンとスープ、それに水だった。スープを飲み、パンを少し食べる。熱のせいか、何の味も感じられなかったが、此処で生きるためには食べなくてはならない。自分自身にそう言い聞かせて、ただ気力だけで食事をした。
   時間に間に合わず、全てを食べきることは出来なかったが、少しだけ力が出て来たような気がする。短い昼休憩が終わり、食堂を出る間際、アランは私を励ますように肩をぽんと叩いた。
   昼の作業の時も、アランは刑吏官の眼を盗みながら、私の作業分を手伝ってくれた。


[2010.2.26]