「……私はもう宰相ではない」
   宰相、と呼んだアラン・ヴィーコに告げると、彼は軽く眼を見張ってそれはそうだな――と苦笑混じりに言った。
「じゃあロートリンゲン様、か」
「敬称も不要だ。此処に居る限り、同じ立場だろう」
   アラン・ヴィーコは笑みを消して私を見つめる。数秒そうしていたが、やがて再び笑みを浮かべた。
「旧領主層にしては珍しい人物と聞いてはいたが……。その様子では他の旧領主層から煙たがられただろう」
「……君は随分詳しいな」
「運動をしていればその程度の情報は入ってくる。ロートリンゲン家が密かに運動家を支援していたこともな。ついにそれが皇帝にバレたというところか」
   他の囚人達は興味津々の態で、アラン・ヴィーコと私の会話に聞き耳を立てている。このアクィナス刑務所は反社会分子を閉じ込めておく刑務所だということを考えれば、この独居房の囚人達もそうした運動に加担していたのかもしれない。

「……支援といっても討論会の会場を提供していただけだ。法的には何の問題も無い」
「確かに、活発な討論の場だったな。旧領主様開催というから参加者のチェックが厳しいかと思えば、手荷物検査だけで会場に入れたし、発言を制限されることもなかった」
「……参加したことがあるのか?」
「ああ。二度三度な」
「アランは結構有名な運動家だよ。だから官憲に眼をつけられたんだ」
   アラン・ヴィーコの三つ隣の房の男が此方を向いて言う。彼は手をひらひらと挙げながら、ジル・バリエだと名乗った。
「……帝国を変えるために破壊工作を企てたと聞いている。個人の武器製造は懲役4年以下の重罪だ」
「武器製造はしてないさ」

   アラン・ヴィーコはさらりと言ってのける。しかしこの男は武器を製造していたからこそ罪に問われたのでは無かったか――。

「俺が作っていたのは大気用の保護膜だ。何がどう失敗しても武器にはならん」
「武器と間違えられた……いや、無実の罪を着せられたということか……?」
「まあな。死罪と聞いた時には驚いたが、あんたがすぐに異議を唱えてくれたから助かった」
「……済まない。私は何も知らず……」
「あんたに謝ってもらうことは無いさ。こうして生きていられるのはあんたのおかげだしな。それにあと2年ちょっとで此処から出られる」
   本当はこんなところに入る必要など無かっただろうに、アラン・ヴィーコは恨みも言わず、けろりとした様子だった。返答に困っていると、彼は笑って言う。
「あんたはこの帝国の上層部に居た人間に思えないな。有能と聞いてはいたが、それだけで若くして宰相になることは出来ないだろうから、影で何かやっているのだろうとずっと思っていたんだが……。こうして見ていると、そういう風にも見えない」
   上に立つ人間にしては人が良すぎる――アラン・ヴィーコはそう言って、私を見つめた。
「……そうだな。ミドルネームのルディという名で呼んでも良いか?フェルディナントという厳めしい名前より呼びやすい。俺のことはアランと呼んでくれ」
   頷き了解すると、彼はこの刑務所について教えてくれた。牢は全て地下にあって、この二階部分には重罪を犯した者が入牢しているらしい。今は1、2階合わせて130名ぐらいだと彼は言った。
「俺は懲役3年で此処に居るが、他の奴等は短くとも10年だ」
「アランの場合は、上の階に空きが無かったんだろうと皆言ってる。俺は15年だしな」
   ジル・バリエが告げると、アランは私に尋ねた。ルディは何年を科せられたんだ――と。
「50年」
「50年!?おいおい、此処の誰よりも長いじゃないか」
   皇帝の怒りがそれほどだったということだろう。それにアランは弁護士を依頼することが出来たが、私の場合はそれも叶わなかった。このまま50年、此処で過ごすのだろう。
「皇帝の不興を買ったんだろう。一体何を……?」
「捕虜を逃がしたうえに、皇帝に進言した。こうなることも覚悟の上だ」
「捕虜……?」
「共和国との戦争で長官を捕虜にしたが、その長官を帰国させた」
「……共和国とは……?それに戦争とは何だ……?」
   アランばかりでなく他の囚人達も身を乗り出して尋ねる。その状況に驚いていると、アランが言った。
「此処は外の情報が何ひとつ入って来ない。社会から全て切り離された生活を強いられているんだ。作業室もこの階の奥にあって、俺達は出所の時を除いては、この二階から外に出ることは叶わない」
「……新トルコ王国が共和国に移行したことも知らないのか……?」
「この階で、昨日まで一番の新参者は俺だった。で、その俺ですらこの1年のことは何ひとつ知らない」
「あんたには理解出来ないだろうけど、此処はそういう場所だ。一切の情報を遮断されるから出所しても社会に馴染めなくなる」
   ジルという名の男が肩を竦めて言う。
   新トルコ王国が共和国となったのか――とアランは興味深そうに呟いた。
「……で、その共和国と何故戦争になったんだ?帝国が侵略したのか?」
   アランは見事に言い当てる。そうだと告げると、帝国のやりそうなことだ――と吐き捨てるように言った。
「しかしルディも何故、捕虜を逃がしたんだ?眼を瞑っておけば、こんなところに入ることも無かっただろう」
   確かにそうだろう。たとえレオンの命を危険に曝したとしても、皇帝の命令に従っていれば、私は宰相のままだっただろうし、皇太子の地位も得ることが出来た。
   だが――、出来なかった。

「侵略を止められず、また、私は卑劣な手段で長官を捕虜とした。それを選んだ自分が許せなかった」
   きっとミクラス夫人やフリッツは嘆いていることだろう。何故、そのような行為に及んだのかと怒っているに違いない。
   もし父が存命していたら、絶縁されただろう。ロートリンゲン家が潰されるようなことは無いとはいえ、私の行為は家を見捨てたのと同じことだった。
「まともな人間の道を選んだってことか」
「まとも……?」
「国を左右する立場の人間は、一人の命を軽んじる傾向がある。あんたはそれが許せなかったんだろう」
   アランはそう言ってから笑みを浮かべた。
「50年間、此処で生きて堂々と出所してやれ。上流社会に居たルディからすれば、此処での生活は地獄のようなものだろうが、贅沢をしない分、長生き出来るぞ」
   アランの言葉は力強く、私は思わず笑みを零した。


[2010.2.22]