道で会っただけの素性も良く知らない人間と共に食事をするなど、私にとっては初めての経験だった。それでも快く了承したのは、私がきっと彼に興味を抱いていたからだろう。否、レオン自身というよりも新トルコ王国の現状に。レオンから新トルコ王国について色々と聞いてみたかった。
 ミクラス夫人に夕食は要らないとの連絡をいれてから、海沿いのレストランへと向かった。レオンは気取ることもなければ穏やかな性格の男だった。新トルコ王国に興味があると告げると、彼は地理や風土、人々の暮らしについて語ってくれた。隣国ということもあって新トルコ王国の様子に関して知識はあったが、こうして実際に住んでいる者の視点から見た話を聞くのは非常に興味深かった。

 新トルコ王国は新ローマ帝国の東側に位置する。同国の北側はビザンツ王国、東側には北アメリカ合衆国、南アメリカ連合国が、南側にはムガル王国がある。新トルコ王国は内陸国で海は無いが、国土を縦断する大河が2つある。それは南アメリカ連合国から北上して流れ込んでいるチグリス川と、ビザンツ帝国から南下して流れ込んでいるヴォルガ川であり、この二つの川が肥沃な土地を作り出し、農業の面で大きな恵みを齎している。気候は帝都と同じく温暖で、少し乾燥してはいるが比較的住みやすい環境にある。
 新トルコ王国は新ローマ帝国と同じ立憲君主国ではあるが、国王の権限は憲法によって大幅に制限されている。国王は議会の議決に従わなければならない。その点において、皇帝の権限が著しく高い帝国とは大きく異なっている。現国王はホスロー2世と言って、高齢ではあるが穏和な人物として、国民からも慕われている。ホスロー2世には嫡子がおらず、後継者の指名も未だ無い。もしかしたらこのまま共和制に移行するのではないかと言われている。実際、この国は北アメリカ合衆国やさらにその東側にあるアジア連邦といった共和制国家との繋がりが深い。
「ルディはこの町に住んでいるのか?」
「いや……。休暇を得て此方に来た」
「良いところだものな。この町は」
「ああ」
 レオンはガラス張りに見える外を見遣った。陽が海に向かって沈んでいく様を見て、綺麗だと呟いてそれに見入る。この光景は帝都でも見ることが出来ない。況してや海を初めて見るのだから、見とれてしまうのは無理も無いだろう。
 それにしてもこのレオンという男は貿易商か何かだろうか。巧みに帝国語を使う。帝都の人間に紛れ込んだとしても、誰も違和感を覚えないだろう。貿易に関係する者ならば、語学が堪能なことも納得する。しかし単なる貿易商でも無いように思う。一度に十人を軽々と倒してしまうなど、ロイと互角の強さではないか。軍人なのだろうか。軍人だとして、何故このような場所に居る?密偵なのだろうか。だが密偵ならば、この町ではなく帝都に忍び込む筈だ。それに彼が会う約束をしていた男――ギルバートという男は、帝国の内政に一家言ある男だと言っていた。そんな男と会ってどうするつもりなのか。
 まさか帝国を内部から瓦解させるために工作活動を行っているのだろうか。
 しかしどうもこのレオンなる男が工作活動を行うような人間にも思えない。第一印象で判断してはならないが、裏表の無いこのままの人間のような気がする。
 まずはこのレオンが新トルコ王国でどの程度の立場にいる人間なのか、色々と問い掛けてみようか――。
「ルディは政治に対して割と自由な発想を持っているように見えたけれど、何か活動をしているのか?」
「いや。単に個人としての意見を述べたまでのことだ。そちらの新トルコ王国は議会が強い力を有していると聞くが……」
「ああ。国民が選んだ代表者が議会で法案を作成したり改案したりする。国王は議会の決定権に関して事実上拒否は出来ない」
「もし国王がとある法案を成立させたいとする。議会がそれを認めないとなると、国王が如何に申し出ても廃案となるということか?」
「議会は国民が選挙で選んだ代表者だからね。国民の意志を反映させるために議会はある。だから、国王は議会で決められたことに反してはならない。法案成立には国王の認可が必要となるが、事実上は国王が認めるかどうかということではない。その辺が帝国とは大分違うだろう?」
「ああ。そうした議会制は惑星衝突以前にもあったことだ。だが議会が腐敗する危険も孕んでいる」
「その通り、汚職もある。それに国民が政治に興味を示さなければ、代表者としての議会の意味がなくなる。新ローマ帝国のように君主が全てを決定するとなると、一貫した政治政策を貫くことが出来るという利点がある一方、もし良き君主に巡り会えなかったら……、下手をすれば国家は悲惨な道を歩むことになる。名君が暴君となった例は歴史上にいくつもあるからな」
「君主制にも共和制にも一長一短ある。しかし惑星衝突後、人類が再び地上に戻り、国家の建設に当たったとき、君主制を取る国家が増えたのは、民が強い指導力と求心力を欲したからこそだ」
「それからもう三百年が経つ。領土争いのため、各国が戦い合った時期もあった。だが今は国境がほぼ画定している。人々は今でも強き君主を求めているかどうか――。俺はそうは思わない」
「時代が変わりつつあると?だがまだ世界の約半数は君主制を採用している。そのなかで共和制を勧めれば、有事の際、判断が遅れることにならないだろうか。共和制の利点は国民の意見を行政が把握することにある。したがって、行政の決断が遅い」
「確かにまだ君主制を取っている国は多い。特に西側にね。君の言う通り、利点もあれば欠点もあるよ。しかし国民の意見を聞くことが出来るというのは、欠点を打ち消すほどの大きな利点ではないだろうか」
「それは理想論だ。国家は理想だけで成り立つものではない」
「そうかもしれない」
 レオンは笑って言葉を止めた。気付けば私も夢中になって話をしていた。一体この男は何者なのだろう。探ろうとしても話しているとその話に私の方がのめり込んでしまう。語っていてこんなに楽しいことなど久しぶりだった。
「君の考えは新トルコ王国では主流な方なのか?」
「反対派と五分五分といったところかな。だが新トルコ王国は現国王が崩御したら完全な共和制国家となるかもしれない」
 崩御という言葉をこんなにも軽々しく言ってのける人間も初めて見た。帝国では皇帝の死についての発言をすることは憚られるのに。
「もし君の言ったように万事上手く事が進むとしたら、私もその政府の様を見てみたい。理想で国家が動く訳は無いというのが私の持論だが、それでも私とて理想を求めたい」
「帝国ではそういう運動をしたら捕まってしまうのかな」
「そうだな……。思想は自由だが、それを行動に起こせば皇帝に対する反逆罪となる」
 レオンはそうかとやや残念そうに眼を伏せた。やはり帝国の内部の瓦解を狙っていたのだろうかと、レオンの様子をさりげなく探っていたところ彼は言った。
「新ローマ帝国は世界で一番大きな国だ。もしこの国が専制君主制を廃止すれば、各国もそれに呼応するだろう。どの国も何よりも恐れているのはこの帝国の力だ」
「帝国は侵略しないと、現皇帝が即位した時に宣言している。各国が侵略を恐れているとしたらそれは間違った認識だ」
「だが明文化はされていない。それは必要となればいつでも侵略が出来るということだ」
 皇帝にその意志は無いだろう――そう言いかけて言葉を飲み込んだ。あまり皇帝のことを知っているような言葉は避けなければならない。このレオンに私が宰相であることを知られてはならない。
 しかし新トルコ王国の民はそんな風に考えていたのか。軍の内部で新トルコ王国への侵略を求める声が上がっているが、そうした声を絶対に他国に漏らさないようにしなければならない。此方が侵略するつもりが無くとも、侵略を企てているという噂が各国に知られれば、国際的な信用を失うことにもなる。
「ところでルディ。君は若いのに辛辣な物の見方をする。年齢はいくつ?」
「私は君と同じぐらいだと思っていたが……。33歳だ」
「33? だったら俺と同い年だ。もっと若く……俺の弟が25歳なのだが、それぐらいかと思っていた」
「それはまた随分若く見られたものだが。しかし奇遇だな。私も弟が一人居る」
 運ばれてくる料理に舌鼓をうちながら、レオンとの会話を楽しんだ。得体の知れない男ではあるが、何だか憎めない。レオンとはそういう男だった。
「帝国にはいつまで滞在する予定だ?」
「明後日の朝に帰国する。ルディはまだ此処に?」
「ああ。私は来週帰宅する。もし時間があれば、明日もまたこんな風に話が出来るだろうか?今日は楽しかった」
「勿論。俺も誘おうかと考えていたところだ。明日、五時頃良いかな?」
 レオンと別れる頃にはすっかり暗くなっていた。来た道を戻りながら、レオンの発言ひとつひとつを考えてみる。レオンの発想は歴史的に見ればそう珍しいものでもないのに、今の自分にはとても斬新なものに思えた。巷では進歩派と言われていても、知らず知らずのうちに私の身体には帝国の思想や教育が染み込んでいるということだろう。
「お帰りなさいませ」
 帰宅するとミクラス夫人が出迎えてくれた。どなたかとお会いなさっていたのですかと興味津々に尋ねて来る夫人に頷いて有意義な時間を過ごした旨を話すと、夫人はその御様子ですと女性ではないようですね、と少々落胆気味に告げる。
「ですが……、いつになく清々としたお顔をしてらっしゃいます」
「そうか?」
 珍しく気分が高揚していた。立場に縛られることなく自由に発言するのは久々のことだったからだろう。

 そして翌日もレオンに会い、語り合った。結局最後までお互いに素性を明かさなかった。だからこそ私は自由に発言出来たのかもしれない。携帯電話の番号を教え合い、またいつか会おうと言って別れた。
 新トルコ王国とは隣国とはいえかなり遠い国だが、本当にまた会いたいものだった。理想を追求して良いのではないかと言い放ったレオンの言葉は、いつまでも私の中に残っていた。


[2009.8.15]