「宰相がお前をリヤドまで……?」
   帝国での収容所のことを手短にムラト大将に伝え、その収容所からこのマスカットまでどうやって来たのかを説明した。俺の解放に、宰相が関わっていると告げた時、ムラト大将も驚いて問い返した。
「ええ。私に取り付けられていた起爆装置を解除したのも彼です。収容所を脱走する時には彼のIDでゲートを開放してくれました。それから、三日かけ彼の車でリヤドまで移動し、リヤドからマスカットへは徒歩で山をかきわけて進みました。リヤドまでは憲兵達に見つかることはなかったのですが、山中で待ち伏せされ、その時に彼は私を庇い、マスカットに行かせてくれました」
   ムラト大将は成程と少し考え込むように視線を落とし、再び俺を見て言った。
「……お前が捕虜となってから、ずっと宰相と交渉を続けていた。南部地域の割譲を議会で何とか了承を得て、宰相とお前の解放に向けて協議が進んだところで、急にヴァロワ長官から交渉中断を宣言された。妙だとは思ったのだが……」
「ムラト大将、宰相から聞いた話ですが、ヴァロワ大将は今は長官を解任されています」
「どういうことだ……?」
「交渉を取り止めるように告げたのは皇帝です。それは反戦論側に立つ宰相を抜きにした場で表明され、異を唱えたヴァロワ大将は一時的に長官を解任されたようです。今はフリデリック・フォン・シェリング大将が長官を務めている筈です」
「……最悪な人事だな」

   ムラト大将とハッダート大将は口を揃えて言う。二人ともフォン・シェリング大将とはとある会議の場で面識がある。会議終了後にその様子を俺にも語ってくれたが、他国を見下すような人物であったらしく、良い印象を受けなかったようだった。
「長官をヴァロワ大将からフォン・シェリング大将に交替させた時点で、帝国の将来は暗いな。ヴァロワ大将も災難なことだ」
   軍内部での粛正が行われるかもしれんぞ――とハッダート大将は付け加える。その通りかもしれない。共和国でも軍が保守派と進歩派の二派に分かれた時、一時、同じような状況となったのだから。
「ヴァロワ大将は宰相と私の逃亡を知っていました。知った上で、逃がしてくれました。宰相には亡命するよう告げたのですが……」
「宰相は来なかったのだな……?」
「リヤドとマスカットの国境線まで一緒でしたが、彼は宰相としての務めがあるとそう言って帝国に残りました。私が国境線を越えた後、背後から発砲音が聞こえました。威嚇発砲だから行けと宰相は言いましたが……、私は彼を引っ張ってでも連れて来るべきでした」

   ルディの安否が気になる。上手くやると言っていたが、皇帝を相手に正論を述べても権力を振り翳されたら、ルディには手立てが何も無くなってしまう。何とかルディを助ける方法は無いものか――、ずっと考えていた。

「……宰相は最後まで皇帝に望みをかけたのだろう。そうか……。帝国はやはり二分しているのか……。しかもレオンの話だと相当捻れているな」
「ええ……。帝国に対して疑問に思っていたことを尋ねたら、宰相は全て話してくれました。そのうえで、彼は私に外部圧力によって帝国を変えてほしいと……。共和国とアジア連邦、北アメリカ合衆国と共に、それが成し遂げられる筈だ。国際会議に訴えて、帝国の暴走を止めてほしい、と……」
「……やはり宰相は同盟に気付いていたか。帝国には惜しい人材だな」
「……私もそう思います。そして彼と同じ意志を持つヴァロワ大将も……。彼等は最後まで帝国において反戦を訴えるつもりでしょう。ですが、皇帝の前で強固に訴えたら……」
   ムラト大将は頷く。帝国とはそういう国だ、と低い声で言った。
「上手くやると彼は言っていましたが、気にかかります。マスカットに入ってからのあの発砲音も威嚇発砲にしては鈍い音で……。もしかしたら彼に当たったのではないかと……。それに皇帝が裏切りとも取れる行為に及んだ彼を許すかどうか……」
「……難しいだろうな」
   ムラト大将は何か考えているようだった。ハッダート大将やテオに問われるまま、マスカットまで辿り着くまでのことを語るうちに、専用機は新トルコ共和国中央官庁――旧王宮近くの広場に到着する。
   まだ俺が国に戻ってきたことを公表していないため、騒ぎになるのを避け、其処から車で移動し、旧王宮の裏口を通って軍本部に入った。


   本部では将官達が待ち受け、出迎えてくれた。無事を喜び、労いの言葉をかけてくれた。ハリム少将とラフィー准将は頻りに俺に謝ってきた。
「ハリム少将もラフィー准将も私の命令に従ってくれたまでのこと。それにエスファハーンでは私の判断ミスがあったことは否めない。皆に迷惑をかけた」
   将官達に向かって詫びを告げる。すると、彼等は此方に向かって敬礼した。驚いてその光景を見つめていると、ハッダート大将は皆、お前に辞められると困るということだ――と言った。
「……ありがとう」
   礼を述べると、ムラト大将が肩にぽんと手を置いた。
「議会と各省にはお前の帰還を伝えておく。明日、議会に顔を出すよう予定を組むから、今日はまずお祖母さんの所に行ってやれ」
   ムラト大将に感謝した。それから執務室に置いてあった私服に着替え、テオと共に本部を後にした。



   テオによると、祖母は家で倒れ、一時は意識不明の状態に陥ったらしい。倒れた当初は自宅と同じ郊外にある病院に運び込まれたが、テオが官庁に程近い病院に転院させたのだという。
「家の方の病院だと、俺が本部まで通えなくなる。祖父さんは祖母さんの世話は自分がすると言って聞かない。祖父さんもあまり身体が強い方ではないのに、家と病院を往復する気だったから、此方も気が気じゃなくて……。それならいっそ官庁に違い病院に入院させた方が良いと思ってそうしたんだ。祖父さんには病院の近くにあるホテルに泊まってもらって、今は俺も其処から本部に通勤してる。でも流石に祖父さんも参ってるみたいで……」
「そうだったのか……。祖母さんにも祖父さんにも謝らなくてはな……」
「祖父さんは酷く怒ってたよ。殴られるのを覚悟しておかないと」
   テオはそう言って肩を竦める。
   思い返してみれば、俺が士官学校に入ると告げた時にも、親不孝者と言って殴られた。7年後に同じ道を進んだテオも、やはり同じように殴られた。そうしたことを考えれば、今回の件は数発殴られたうえで、勘当を宣言されるかもしれない。
   テオの視線を感じて、見返すと、テオは本当に安心した、と言った。
「まさか兄さんが捕虜となると全く予想してなかったから……。聞いた時には心臓が止まるかと思ったよ」
「心配をかけて済まなかった」
「俺には謝らなくて良いから、祖父さんと祖母さんに謝ってやって。祖父さん、俺にいつも兄さんへの愚痴ばかり言っていたんだ。あれってすごく心配していたからだと思うから……」
「そうか……」
   病院に入ると、つんと消毒液の匂いが鼻につく。テオはこっちだと言って、俺を病室へと連れて行ってくれた。

   5階の一番奥にある病室が、祖母の病室だった。ノックをすると、祖父の声が聞こえてくる。急に俺が入って驚かすのも心臓に悪いだろうから、まずはテオが事情を説明した。本当か、と祖父の声が聞こえてくる。それから俺が病室に入った。
「レオン……!」
   祖父は椅子から立ち上がり、俺の側に歩み寄る。
   数発殴られる覚悟は出来ていた。勘当を宣言されたら、ひたすら謝ろうとも考えていた。

   それなのに――。
   祖父は俺の身体を抱き締めて、無事で良かったと言って、泣いた。


[2010.2.11]