「俺はエスファハーンに帝国軍が侵攻したという報告を受けて、すぐにシーラーズから撤退してきたんだ。そして、支部から少し離れたところで戦っていた。……が、この通りその際、腕を負傷してしまってな。俺と行動を共にしていた少将も負傷し、帝国軍に取り囲まれ、一時捕虜として拘束された。ところが、一時間も経たないうちにその場で囚われていた全員が解放された。宰相命令が出たと帝国軍が騒ぎ出してな。後から詳細を知って驚いた」
「御無事で何よりでした。あの時、ハッダート大将の消息が解らなかったので、心配していました」
   ハッダート大将は首を横に振り、済まないと頭を下げる。ハッダート大将が謝ることは何もありません――と言おうとすると、ハッダート大将は俺の言葉を制して言った。
「支部に戻ろうとしたが間に合わなかった。お前の提案をはじめから受け入れていれば、エスファハーンは守りきれただろう。そのことをずっと悔やんでいた。本当に済まない」
「ハッダート大将に非はありません。私の判断ミスです」
「だがレオン。お前がそうやって責任を負って辞任するとなると、ハリム少将やラフィー准将が自分達にも責任があるといって辞職しかねんぞ。一昨日、将官級の会議が設けられたのだが、その場であの二人がどれだけ、自分達の責任だと頭を下げたと思っている?自分達こそ捕虜になるべきだったと、酷く後悔していた」
   ハリム少将とラフィー准将が、必死に俺を止めた時のことが思い返される。二人のことを尋ねると、本部に戻ったとハッダート大将は教えてくれた。ラフィー准将の怪我も軽傷だという。
「俺も怪我を負ったがこうして動くことが出来る。今日も国境付近の視察をしていたところだ。ちょうどこのマスカットの近くを通りかかった時、長官を名乗る者が国境を越えて現れたと報告を受けてな」
「それで到着が早かったんですね」
「まあな。……ところでレオン、勇猛果敢なお前のことだから、相手の隙を見て逃れてきたのだろうが……」
「私一人の力ではありませんよ。私はずっと帝都の収容所に収監されていました。尤も収容所といっても、人道的な扱いを受けていました。不自由なのは収容所の部屋から一歩も外に出られなかったことだけです」
   ハッダート大将はお前の姿を見れば解る、と頷いて言う。
「ムラト大将が言っていたことだが、宰相とヴァロワ陸軍長官に囚われたというのなら身の安全は保証されている筈だとな。俺は半信半疑だったのだが……。帝国のことだから、拷問にあっているのではないかと」
「そうしたことは一切ありません。メディカルチェックと生体データを取られ、簡単な取り調べを受けてからは、ただ部屋に閉じ込められていただけです。その部屋も綺麗な部屋ですし、食事もきちんと提供されていました」
「そのようだ。お前の姿を見た時、まずそのことに安心した。警備も緩かったのか?」
「いいえ、収容所では脱走すれば起爆する小さな装置を付けられていました」
「ではどうやって……」
「ハッダート大将。その起爆装置を外してくれたのも、収容所に居る間、配慮してもらえたのも、こうしてこの国に戻ることが出来たのも、全て宰相のおかげなのです」
「宰相の……?どういうことだ。それは」

   部屋の外が急に騒がしくなって言葉を止める。マスカット支部の支部長は何処に居る――と声が聞こえて来た。この声はムラト大将の声だった。
「来たようだな。流石に専用機だと早い」
   ハッダート大将が立ち上がる。俺も同じように立ち上がった。ハッダート大将の話では、ムラト大将とテオが来る筈だ。
   ハッダート大将が扉を開け、ムラト大将と声をかける。シャフィーク、とムラト大将がハッダート大将を呼ぶ声が聞こえ、それからすぐにムラト大将が姿を現した。
「レオン……!」
   良かった――と、ムラト大将は安堵を露わにして言った。ご迷惑をおかけしました――そう告げると、無事で何よりだと俺の肩を抱く。
   ムラト大将から一歩下がったところにテオが居た。テオは瞬きもせず此方を見ていた。
「テオ、お前にも心配をかけた」
「兄さん……」
   ムラト大将は気を利かせて離れ、同じく部屋に入ってきた大佐の許に歩み寄る。その間に、テオの側に歩み寄り、俺はこの通り無事だ、と告げて肩を抱き寄せた。
「良かった……。捕虜になったと聞いてずっと不安で……」
「済まない」
   テオの身体は震えていた。心配してくれていたのだろう。だが何か、俺に言いたいことのあるような表情をして俯く。テオ、と声をかけるとテオは首を横に振った。

   一方、ムラト大将は大佐と大佐の側に居た医官に席に着くよう促し、そして手に携えていた封筒から書類を取り出した。俺の生体データのようだった。
「支部長不在というのが気に入らんが、今、この支部のなかで最上級の者は君だな?」
「はっ。支部長はハリール大将から召集を受けて出張しておりまして、本日は此方に戻ることが出来ません」
「まあ良い。これが長官の生体データだ。この場で医官に照合のうえ確認してもらう」
   先程、俺の生体データを採った中年の医官が、ムラト大将から渡された書類を片手に、照合を行う。全てにおいて何の問題も無かったようで、10分程でそれは終了し、医官は生体データからも間違いは無い旨を告げた。
「ではこれで証明はされたな?」
「はっ。大変失礼致しました」
   大佐は立ち上がると、俺に向かって最敬礼する。身許が証明されたのなら構わないだろうと思い、彼に言った。
「ハサン大佐。私が此処に来た時に持っていた拳銃があっただろう。あれを返して貰えないか」
「はっ」
   ハサン大佐はすぐに部屋を出ていく。拳銃など持っていたのか――とムラト大将が尋ねた。
「ええ。私のものではなく、借り物なので、今度会った時に返さなくてはならないものです」
「借りた……?一体誰から……」
   その時、ハサン大佐が拳銃を持ってやって来る。帝国のものではないか、とムラト大将は眼を見張って言った。
「私を逃がしてくれた人物が貸してくれたものです」
   詳細はあとで話します――そう告げると、ムラト大将は頷いて、このまま本部に戻る旨を告げた。部屋を去る間際、ムラト大将はハサン大佐の前で立ち止まった。ムラト大将がいつもより高圧的に見えるのは気のせいだろうか――?
「このような非常時に、たとえ上官に召集を受けたとはいえ、国境警備の任にある者が部署を離れるとはけしからん。支部長には後で話があると伝えておいてくれ」
「は、はいっ」
   ムラト大将はきつくそう言い放ってから、俺達を促して部屋を後にした。
   ハッダート大将とはまだ話の途中だった。しかし、ハッダート大将も忙しいようで、本部に戻るなら俺も部署に戻る――と言った。
「シャフィーク。レオンが戻って来たからすぐに将官級の会議を開く。出来れば視察を切り上げてこのまま本部に来て貰えるか」
「ならばそうしましょう。部下に連絡をいれてきます」
「先に機内で待っている。レオン、テオ、行こう」

   マスカット支部に入った時とは違い、今度はこの支部の全員が敬礼して見送る。手のひらを返したような対応の差に、不謹慎だが苦笑しそうになった。しかし考えてみれば、軍服を纏っていたとはいえ、国境からいきなり捕虜がやって来て、長官だと名乗れば無理も無いことか。
   支部の裏手に待機していた専用機に乗り込み、後ろを歩いていたテオが入口を閉める。それから兄さん、と呼び掛けてきた。顧みると、テオは悲しげな眼で俺に言った。
「兄さん。祖母さんが倒れたんだ」
「え……?」
   祖母さんが倒れた――テオの一言に、驚いて、ただただテオを見つめ返した。
「兄さんが捕虜になったというニュースを見て、その翌日に倒れて……。今、入院してるんだ……」
「倒れてって……。容態は?悪いのか!?」
「一時危険だと言われたんだけど、今は小康状態に。心配は要らないって祖父さんが言ってるけど……」
   俺のせいで、祖母さんが――。
   何も言葉にならない。祖父は少し身体が弱いが、祖母は至って元気だった。今迄倒れたこともない。その祖母が――。
「レオン。今日は一度本部に顔を出したら、テオと共にそのまま病院に直行しろ。お前の顔を見れば、祖母さんも安心するだろう」
   まさかそんなことになっているとは思わなかった。
   俺のせいで祖母が倒れてしまうなんて――。
「そうさせてもらいます……。祖母を見舞ってきたらすぐに本部に戻ります」
「いや、お前も疲れているだろう。今日はいいから休め。此方も話したいことは山程あるからな」
   程なくして、ハッダート大将が機内にやって来た。機内に控えていた大佐が全員乗り込んだ意をムラト大将に伝える。ムラト大将はすぐに離陸を求めた。


[2010.2.10]