昨日、エスファハーンに入ったトニトゥルス隊が共和国の守備隊と交戦中だと伝えられた。今も激戦を敷いているのだという。共和国の守備隊は1万近い。そのため、ヴァロワ卿がシーラーズの兵士達にエスファハーンに向かうよう通達した。
   此方が予想していた以上に難航しているから、共和国軍も早々にエスファハーンに防衛体制を敷いていたのだろう。
「宰相閣下。出立の準備が整いました」
   ラッカ要塞所属の准将が部屋に伝えに来る。解ったと応えて、窓際から離れた。
   これから空路でエスファハーンに向かうことになっている。エスファハーンを攻略してから、エスファハーン支部で声明を読み上げ、共和国側と交渉に入る。これで、一時的にも停戦状態となる筈だ。
「ヴァロワ卿は?」
「武器庫から飛行場に直行すると仰っていました」
「そうか。私もすぐに向かう」
   胸のうちをそっと探る。ロイの使っていた拳銃が其処にある。出来ることなら、このような時には使いたくない。此処に置いていこうかとも思ったが、それも心許なくて、持っていくことにした。


   ヴァロワ卿は既に飛行場で待っていた。士官達と話していたところを、此方に気付いて振り返る。その手に一振りの剣を持っていた。
「宰相。これを」
   その剣を此方に差し出す。護身用の剣だということだろう。
「剣術の心得もあるのだろう?宰相の身長から考えて、それぐらいの長さが適当かと思ったのだが……」
「ええ。ちょうど良い長さです」
「拳銃は中に用意してある。使い勝手の良い物を選んでくれ」
   ヘリの中に入ると、ヴァロワ卿の言葉通り、小銃から拳銃までがずらりと並べてある。ヴァロワ卿は自分の軍服の内側から拳銃を取り出して、中に弾を込めた。ロイの拳銃を使う気にはなれなくて、銃のなかから殺傷力のさほど強くない拳銃を選ぶことにした。
「宰相」
   拳銃を収めた私を見て、ヴァロワ卿は呼び掛けた。顔を上げると、真剣な眼差しで私に言った。
「貴方の腕は知っているが、向かう先は戦場だ。甘い考えを持てば此方が命を奪われるぞ」
「……甘い……かもしれませんね」
「眼の前に敵が飛び出して来たら撃たなければやられる。戦争とはそういうものだ」
「心得ておきます。……本当なら戦争という事態に至らぬよう、尽力しなければならなかったことも……」
   今はそんなことを考えるな――とヴァロワ卿は言った。確かに、考えていたら動けなくなる。
「宰相の身は私と此処に居るフィリップ・ダントン少将とヴィットリオ・ブラマンテ少将が守る。私達から離れないように心掛けてほしい」
「解りました」
   宜しく頼むと二人に告げると、彼等は敬礼して背後の席に着いた。
   ヘリが離陸する。
   二時間後、私は新トルコ共和国の地を踏むことになる。共和国側にとっては侵略者として。






「ラシード隊全滅!敵、支部に向かっています!」
   トニトゥルス隊の力がこれほどまで手強いとは考えていなかった。シーラーズから兵が撤退しつつあるのに、帝国軍の兵力がまたも増員されたのか――エスファハーンの防衛も容易ではない。
   あと一日持てば――。
   明日になれば、アジア連邦からの援軍が到着する。それまでどうにか今の状態を維持出来れば、エスファハーン攻略は避けられる。
   この支部は何としても守りきらなければ。それには――。
   机の脇に置いてあった剣を手に取る。それを腰に下げ、胸元から拳銃を取り出す。弾を確認する。安全装置を解除する。
「長官……?」
「私も出る。バース中将から連絡が入ったら、ハッダート大将と合流するよう伝えてくれ」
「お待ち下さい!長官は司令部で待機なさってください。私が出ます」
   ジンナー大佐が慌てて押し止めようとする。その時、窓の外に人影が映った。銃口が此方に向けられる。
「伏せろ!」
   ジンナー大佐の身体を押し倒し、廊下で体勢を低くする。銃弾が二度炸裂する。帝国軍はもう此処まで辿り着いているということか。
「大佐、後方を頼めるか」
「は、はい!」
   ジンナー大佐は慌てて拳銃を抜いた。今、窓の影に二人居る。右側の一人が銃口を此方に向けた。
   その銃口めがけて、一発を放つ。即座に立ち上がり、剣を抜いて、窓から侵入した兵士を斬りつける。
「長官!」
   銃声を聞きつけて、ラフィー准将が銃を片手にやって来る。気を付けろ、と促した。帝国軍が支部に向かっていると一報が入ってから、この支部への侵入があまりに早い。此方が把握しきれていなかっただけで、既にこの付近に居たということか。こうなると何処に敵が潜んでいるか解らない。
「長官、御怪我は?」
「大丈夫だ。どうやらこの支部は帝国軍に囲まれているようだ」
   窓からの侵入者を斬りつけた際、外に帝国軍の軍服を来た男達を5人、確認した。これだけ至近距離に居るにも関わらず、警報機すら鳴らないということは一階は既に占拠されたのかもしれない。
   視界の端で、先程斬り倒した男が、僅かに手を動かすのが見えた。通信機に向かって、長官が居る、と告げる。しまった――と思ったが、もう遅かった。
   ラフィー准将はすぐに男に銃口を向けた。ラフィー准将を制すと、男の手が力無く床に落ちる。息絶える寸前に、部隊に連絡をいれたのだろう。
「長官、すぐに軍服を脱いで下さい。此処の地下から外に抜けたところに車を用意してあります。お伴しますので、長官は首都に避難を」
「私は此処を離れる訳にはいかない。此処を落とされては首都が危険だ」
「ですが、長官……!」
   カチリと引き金を引く音が背後から聞こえて、すぐさま体勢を低くする。ラフィー准将は身体の向きを変えて銃を構えた。ラフィー准将に後方を任せ、ジンナー大佐と共に前方を確認しながら、ゆっくりと階段へと進む。この支部に一体どれだけ人員が残っているだろうか。銃声が下から聞こえるということは誰かが交戦しているということで、まだ此処を完全に占拠された訳ではない。
「バース中将とギラン中将は?」
「司令部から200メートル放れた市街地で敵と交戦中です」
   刹那、前方の階段へと繋がる通路から帝国軍の兵士が現れた。敵が引き金を引く前に、その手から銃を撃ち落とす。男は一旦壁に身を隠す。その隙に剣に手をかけ、一気に前に出る。
   帝国軍の兵士が階段を駆け上がってくる。彼等の銃弾を避けながら、斬り倒していく。一人、二人、三人――、鮮血が壁に弾け飛ぶ。
「この場は私とジンナー大佐が引き受けます。閣下は避難を!」
「……本部のことはムラト大将に任せてきた。私の任務は何としても帝国軍を此処で食い止めることだ!」
   剣から拳銃に持ち替え、廊下の片隅で銃を構えていた帝国軍の一人を撃つ。その時、ぐわあっ、と悲鳴が酷く近くで聞こえた。振り返ると、ジンナー大佐の身体が床に崩れ落ちていくのが見えた。
「ジンナー大佐!」
「レオン!」
   背後から呼び掛けられる。バース中将とギラン中将だった。支部への襲撃を聞きつけて戻って来たのか。
「何をしている!?早く地下に行け!」
「私一人だけ逃げるような真似はしません!」
「お前の矜持よりも国家を優先して言っているんだ!ラフィー准将、早く連れて行け!」
   ラフィー准将が腕を掴む。反論しかけた時、ギラン中将が後ろを振り返り拳銃を構えようとした。

   ズドンズドンと大きな音が響いた。
   ギラン中将の身体から血が噴き出す。
「ギラン中将ーッ!!」
「前に出るな、レオン!」
   バース中将の腕が俺の身体を阻み庇いながら、一室に滑り込む。其処は司令室に繋がっている部屋だった。バース中将は扉を頻りに気に懸けながら、司令室とは逆方向の奥側へと進む。其処にある書棚を引き、厚い扉を開くと、階段が連なっていた。
「この階段から一階に下りろ。一階から地下への行き方は、ラフィー准将が知っている。行け!」
   バース中将が言い終わるなり、部屋の扉が開いた。開ききる前に、バース中将の拳銃が唸る。応戦しようと拳銃をすぐさま構えたこの腕を、ラフィー准将が強く引っ張る。その手を振り払おうとすると、バース中将の片腕が、俺の身体をラフィー准将に押しやった。
   行け、と言いながら――。
「放せ!!」
   ラフィー准将は確りと腕を掴みながら、扉を閉める。激しい銃声が聞こえて来る。扉を開けようとすると、ラフィー准将はその顔を涙で濡らしながら、今は逃げて下さいと懇願した。
「貴方は長官です。どうか、御自分の立場のことを考えて下さい」
「仲間を……見捨てろと言うのか……!」
   引きずられるように階段を下り、一階へと辿り着くと、其処も鮮血の飛び交う戦場と化していた。ラフィー、と呼び掛けたのはハリム少将だった。負傷しながらも応戦しつつ、此方に駆け寄って来る。
「御無事で何よりです。お早く」
   刹那、ハリム少将の背後を銃口が狙った。拳銃を構え、その男の肩を撃ち抜く。
「……囲まれたな」
   廊下からロビーにかけて、数十の足音が聞こえる。ハリム少将が部隊に死守を命じた。


[2010.1.18]