5月7日、トニトゥルス隊からダフナー砂漠を抜けたとの連絡が入った。驚くべきことに脱落者は皆無で、全員足並みを揃えてザークロス山脈に向かっているという。人口が少ないとはいえ、ケルマーン南部からラーバルのザークロス山脈に入るまでは砂漠よりも人目につきやすい。ヴァロワ卿はそのことに注意喚起して、通信を切った。

   一方、ヴァンから進軍した50万の部隊は奮闘していた。死者は1605人、負傷者は4032人に上っていた。帝国軍の方が数の上で勝るため、白兵戦では有利な立場にあるとはいえ、新トルコ共和国軍は予想以上に屈強のようだった。

「……おそらくあと2、3日でシーラーズ中域までを攻略出来るだろう」
   スクリーンで進軍の様子を見つめていたヴァロワ卿が、不意にそう言った。根拠を尋ねると、ヴァロワ卿はスクリーンに映る新トルコ共和国軍を指し示した。
「進撃を命じた当日には50万の兵を投入したが、その後の休憩と人員交替のたびに投入を減らしている。今、戦闘中の兵員は約25万――共和国軍とほぼ同じ兵員だ。つまり、あちらには即座に応戦出来るような予備兵力は残っていないが、此方はまだ15万人の予備兵が控えている。トニトゥルス隊がザークロス山脈に入るのがあと2日と計算して、その間に予備兵をシーラーズに投入した場合、疲弊しきった共和国軍を一気に圧すことが出来る」
「……兵を減らしていたとは気付きませんでした。ヴァロワ卿は用兵術に長けているとは聞いていましたが、流石ですね」
「そんな大したものじゃない。思い込みと錯覚を利用したまでのことだ。戦闘となれば敵軍の数を数える余裕は無いからな」

   新環境法によって、陸戦においては口径20ミリ以上の砲を使ってはならないことが規定されている。そうなると銃と剣の白兵戦では、飛距離や威力も限られているから、大体が一対一の戦闘となる。そうなると確かに、ヴァロワ卿の指摘通り、自分の周りの敵の姿しか見えなくなる。
「トニトゥルス隊も順調だから、予定通り12日にはエスファハーンに向かうつもりだ。宰相もそのように準備をしておいてくれ」
「解りました。ヴァロワ卿、一点のみ兵士達およびトニトゥルス隊の隊員達に厳重注意をお願いします。シーラーズ中域まで進んだ場合、住民と鉢合わせることもあります。兵士以外の殺傷および町の破壊は禁じる。もし違反した場合は、厳重に処分する旨を伝えてください」
「徹底するよう伝えておこう。……早くこんな戦争は終わらせたいものだな」
「ええ……。エスファハーンで糸口を掴めれば……」

   政府要人を人質に取り、帝国に有利な形で交渉を進める。その方が犠牲は少なく済む。
   しかし、人質を取るというのは、気が進まないものだった。早期停戦のためとはいえ、気が重い。

「エスファハーンの官庁には、共和国の軍支部がある。重点地域だから将官級が駐在している筈だ。此方の希望としては、軍部の将官を2名捕縛出来れば良いと考えている。財務部や外交部では少々気の毒だからな」
「シーラーズで将官級を見かけたという報告は?」
「兵士達には共和国軍の階級章を見せているが、まだ将官級を見かけたという報告は無い。とはいえ、将官級が指揮を執っていることには違いないが……。おそらく西方警備部所属のシャフィーク・ハッダート大将だろう」
「どのような人物か御存知ですか?」
「噂程度にだがな。エスファハーン支部の支部長も兼任している。宰相も把握しているだろうが、共和国は体制以降前に進歩派と守旧派の2派に分かれていた。ちょうど、帝国と同じようにな。今の長官は進歩派に担がれた人物で、ハッダート大将もその長官を推薦した一人だと聞いている。……確か現在の大将と中将は殆どが長官に近しい人物の筈だ」
「成程……」
「だから出来れば、私はハッダート大将を捕虜としたい。まあそう簡単に事態は動いてくれないだろうな」
「面識は?」
「全く無い。だから階級章で判断するしかないな。どの国も政府要人の顔は表に出さないから、こういう時には少々不便だ」
   ヴァロワ卿は苦笑する。帝国もそうだが、政府要人のデータは一般的には公表しない。業務への差し障りや安全上の問題のためだった。私もマスコミに顔を出すことは避けているから批判は出来ないが、相手国の要人の顔が解らないということは確かに不便な点も多い。
「国際会議の場か会談でしか、相手の姿を見ることが無いですからね。特に新トルコ共和国とはそれほど友好関係を繕ってきた訳ではありませんから……」
「ムラト次官や数人の少将とは面識があるが、アンドリオティス長官がどのような人物か見たこともない。2年間も表に出てこないことを考えると、もしかしたら意図的に長官の姿を隠しているのかもな」
「そういうことでしょうね。進歩派によって担ぎ出されたという噂でしたから、余程急進的な人物かと思えば、国王に慕われていた人物だったとも聞きます。姿を見せないのも王族に縁があるからという噂がありますが……、どれが真実やら解りませんね」
「まあエスファハーンに攻め入って、停戦協議に持ち込んだら、長官が出て来ざるを得なくなる。停戦から休戦までのことは宰相に任せて良いのだな?」
「ええ。外務省と協力して共和国と協議を行い、何とか終戦に持ち込めるよう妥協点を探ります」
「宜しく頼む」

   協議が上手くいけば、終戦に持ち込むことが出来る。シーラーズ含め南部地域を帝国に割譲するよう求め、それを共和国側が受け入れてくれたら――。

   そうすれば、首都まで攻め込まなくて済む。これだけの短い期間で戦争を終えることが出来る。
   勿論、領土の割譲となれば、共和国側からの抵抗があるだろう。その辺りの妥協点を外務省と協議して探し出さねばならない。


   ヴァロワ卿は時計を見て、増兵の支持を出す旨を告げ、部屋を去っていった。
   こんな戦争は早く終わってほしい。終わらせたい――。
   大きな溜息が吐き出される。私はおそらく自分が考えている以上に、この戦争に嫌気を感じている。
   何よりも、私がこの戦争の当事者であるということに――。



   嘗て私は、帝国は侵略戦争をしないと言った。レオンとムラト次官に。
   特にレオンには、それは間違った認識だとまで言った。今頃レオンは呆れていることだろう。
そしてもし、この戦争を指揮しているのが私だと知ったら――。

「……済まない……」


[2010.1.16]