深々と礼をして敬意を示す。皇帝は机の上にある電話の受話器を取り、司法省の内線番号を押した。数秒も待たず、エルンストか、と皇帝はその名を呼んだ。司法省の長官、エルンスト・ハイゼンベルク卿は自身の机に居たのだろう。皇帝から各省の長官に直接連絡が入ることはそう珍しいことでもなかった。皇帝は彼を部屋に呼んだ。皇帝からの召集とあれば、すぐ此処にやって来るだろう。
「ところでフェルディナント。ここ暫く邸にも戻らず働いておるようだが……」
「法案の修正とブリテン王国への対応に手間取っております。数日中には処理を終えますので、それから陛下に御確認願いたいと考えておりました」
「お前は処理が的確なうえに早いから助かっている。が、あまり根を詰めぬように。宰相が倒れるような事態になったらそれこそ国の大事だ」
「暖かい御言葉、痛み入ります」
 この二ヶ月は目まぐるしいほど忙しかった。各省からの法案の提出が相次いだためだった。特にこのひと月は執務室に泊まり込むことも多く、一日の休暇を得ることもなかった。それは私だけでなく、副宰相であるオスヴァルトも同じだった。秘書官達には交替で休みを与えたが、オスヴァルトは私と同じように執務室で夜遅くまで職務に勤しんでいた。
 程なくしてハイゼンベルク卿がやって来た。中年の長官は細身の男で、眼光鋭く、常に唇を引き結んでおり、そうした姿が神経質そうな印象を与える。彼は非の打ち所のない挨拶をした。皇帝はそんな司法長官に対しても臆することなく穏やかな表情でもって、労いの言葉をかける。
「宰相から話を聞いたのだが、アラン・ヴィーコなる者、死刑を求刑するのは少し刑が重いように思う」
「陛下の統べる国家の転覆を謀り、武器を製造していたことは、たとえ現在において実害が無かったとはいえ許されるべきことではありません。これを看過してしまえば、不逞の輩が社会を跋扈し帝国の平穏が乱されましょう」
「無論、無断で武器を製造していたことは罰せられるべきこと。しかしそれがために死刑という処罰は少々重すぎぬか」
「帝国内の危険因子の引き締めという意味では、適当かと考えます」
「ハイゼンベルク卿。帝国の安寧を求める卿の考え方を否定する訳ではありませんが、陛下が教育制度を充実なさったのは自由な発想を推進するためでもあります。アラン・ヴィーコを厳罰に処すことは、それを制限することになりますまいか」
「国家の安寧より個人の思想を重視なさるか、ロートリンゲン卿」
「個人あっての国家と私は考えます」
 司法長官――ハイゼンベルクはその眼から鋭い光を一筋放つに留め、皇帝に向き直る。若造が出張るなとでも言いたかったのだろう。皇帝は私の意見に賛成だとの意を告げた。それを受けて、ハイゼンベルクは漸くアラン・ヴィーコの刑の軽減を了承した。彼の刑は禁固三年ということがこの場で決定した。ハイゼンベルク卿は皇帝に向かって一礼すると、此方にも黙礼して部屋を去っていく。彼の姿を見送ってから、皇帝は言った。
「エルンストは守旧派だ。これまでに帝国が築いてきた秩序を守ろうとする。それに対してお前は、帝国の新しき姿を求める。今後も度々難儀はあろうな」
 司法長官だけでなく、上級官吏には守旧派が多い。そのなかにはハイゼンベルク卿のように帝国の行く末を考え古きを守ろうとする者もいれば、自分の現在の地位を守りたいがためだけにそれを押し通す者も少なくない。新ローマ帝国は、貴族制を一応は否定しているが、明らかにその流れがある。建国当初から皇族に仕えてきた者はその当時の恩賞として、広大な領地を所有しており、官吏登用の際も優遇される。私やロイが若くして帝国の上位の立場に躍り出ることが出来たのも、ロートリンゲンという家名が守旧派達の口を閉ざさせたという側面も否定出来ない。特にこの私が宰相の地位に就くに当たっては、内部で相当揉めたらしい。試験の出来が良くても若すぎる、省を統括する宰相には不向きだという声のなか、皇帝が興味を示した。そして、皇帝の前で試問が行われた結果、私が指名を受けた。皇帝の強い要請もあり、また反対していた守旧派達も皇帝が私を気に入った様子を見て、25歳の若い宰相など前例が無いがロートリンゲン家ならばという理由で採用を決めたようだった。

「……っ」
 皇帝の許から部屋に戻った途端、頭痛に見舞われた。眼の奥から頭を貫かれたかのような痛みだった。疲労が頂点に達しているのだろう。
「閣下?」
「先程のアラン・ヴィーコの件は片付いた。納税に関する法案修正はどうなっている?」
「ちょうど内務省から修正案と資料が回ってきたところです。ですが閣下、具合でも……?」
「大丈夫だ。今日中に内務省の修正案に眼を通しておこうか」
 オスヴァルトは封筒を取り上げて、中の書類を此方に手渡す。五十枚ほどの随分な量があった。何とか今日中にこれに眼を通しておけば、来週は少し楽になる。オスヴァルトに休暇を与えることも出来るだろう。
 頭痛はまだ続いていた。机の中にある頭痛薬を飲み、五分ほど眼を閉じてからまた書類に視線を落とす。
 午後11時になって漸くそれを読み終わり、帰宅の途についた。ミクラス夫人が頻りに身体を案じていたが、いつものことなのでそれを適当に受け流して、入浴を済ませ、ベッドに入った。
 私のような体質の人間は、今この地球上に十人に一人の割合で存在しているという。そう珍しいことでもない。環境の激変が原因で遺伝子に異常が生じるのだと言われているが、原因は未だ判明していない。ただこの体質に共通していることは、地上の地形が変わって、それ以後に地上で生まれた者だということだった。環境の激変が遺伝子に作用したと言われるのはこのためだった。
 そしてこの体質で生まれた場合、50歳まで生きることは難しい。それどころか成人に達するまで生きられないケースや、たとえ成人を迎えられても外に出ることさえ出来ないケースもある。私のように加齢と共に症状が緩和していったケースは非常に少ない。
 しかしだからといって完治したとはいえない。この体質は時として突然死を引き起こす。それまで何の症状も出ていなかったのに、歩いている最中や就寝中に心肺停止を引き起こしたという話もよく聞くことだった。私の身体も、もしかしたらそういうことが起こるかもしれない。たとえ突然死を免れたとしても、長生きは出来ないだろうと思う。40歳まで生きることが出来たら充分かもしれない。
 だから、せめて動けるうちは、自分のやりたいように生きようと思った。自分の出来ることを精一杯に、やりたいだけやれることを――。


[2009.8.8]