そうして、会議は中断を余儀なくされた。ヴァロワ卿が会議の解散を告げると、将校達は一礼して会議室を去っていく。
   軍務省と外務省だけは、何度会議を設けても意見が纏まらない。上層部の人間が、新トルコ共和国への侵略を訴えてくる。同じように侵略戦争に肯定的だった内務省が、今週漸くその意見を変えることとなったから、安堵していたところだったが、軍務省と外務省はまだ時間がかかりそうだった。

   会議室にはヴァロワ卿とヘルダーリン卿と私が残った。ヴァロワ卿は平行線だな――とひとつ息を吐いて言った。
「彼等が手を拱いているばかりかどうかも怪しい。こうして会議が紛糾している間に、戦争に向けての準備を始めている可能性も否定出来ないな」
「個人的にはもう始めているでしょう。フォン・シェリング大将にしてみれば、頭角を現す好機でもありますから……。しかし、個人的な資金の範囲内で出来ることは限られていますから、現段階においてはそれほど心配することはないでしょう。それよりも、軍務省内の予算を見張って下さい。財務省には軍務省内に個別に予算が流れないように、手を打ってあります」
   解った、とヴァロワ卿は頷いた。フォン・シェリング大将の最近の動向は見張らせている。個人的な資産を使って軍備を始めていることは間違いない。個人が所有出来る武器数以上を保持しているとして摘発することも出来ない訳ではないが、今それに踏み切れば、守旧派との全面的な対決となってしまう。争いは出来るだけ避けたい。
   しかし、一方でこうも考える。フォン・シェリング家のそうした軍備に向けての動きを、新トルコ共和国やアジア連邦は掴んでいるだろうか。あの二ヶ国は情報が早い。もしそれを知ったとしたら、両国とも軍備を開始するだろう。ならば、やはりフォン・シェリング大将を摘発すべきか。この機会を利用して、帝国は侵略の意志がないことを外に知らしめるべきか。

「宰相閣下」
   ヘルダーリン卿が声をかけてくる。彼はアジア連邦と北アメリカ合衆国が本当に同盟を結んでいるのかと問い掛けた。
「証拠は無いが可能性は高いでしょう。そうでなければ、新トルコ共和国がこんなにも穏やかに体制移行を成し遂げることは出来なかったと思います」
「閣下がそうお考えになるのは、その二国が民主化を推進しているからですか?」
「それに加えて、もう一点、帝国に敵対出来る兵力と考えてのことです。あの三ヶ国が同盟を結べば、帝国以上の力を有することになる。どの国も一国では帝国に敵対出来ない。アジア連邦と北アメリカ合衆国の兵力を合わせ、さらに新トルコ共和国の資源を加えると、帝国はそれに太刀打ち出来ません」
「いつ頃から三ヶ国が結びついていたとお考えですか?」
「おそらくは体制以降を成し遂げる前に。新トルコ共和国は外交の巧みな国です。帝国にそうと悟られぬよう、水面下で交渉を続けていたに違いない。……先程は言いませんでしたが、外交筋の話によると、新トルコ共和国の重鎮達のこの二国への渡航数が頻発していると聞いています」
「三ヶ国相手では、戦っても勝算の見込みは無い。新トルコ共和国一国のみならば、まだ勝算はあろうが……。それでも長期戦に持ち込まれれば此方が不利だ」
   ヴァロワ卿が表情を曇らせながら告げる。帝国はそれほど資源の豊かな国ではない。長期戦になれば、帝国は戦争を遂行出来るだけの資源を枯渇させることになりかねない。そうした事情をフォン・シェリング大将達は考えているのだろうか。

「ヴァロワ卿、ヘルダーリン卿。このたびの戦争は何としても回避を。これは無益な戦いです。たとえ勝利したとしても損害が大きすぎる」
「私も戦争は反対だ。……しかし、フォン・シェリング大将は諦めまい。否、彼のみならず侵略を求める声は省内で高まっている。私の辞任と共にな」
「辞任……?ヴァロワ卿、それは一体……」
   ヴァロワ卿の言葉に驚いて彼を見返すと、彼は肩を少し持ち上げて、昨日のことだ、と言った。昨日、ヴァロワ卿の許へ、将官達が辞任を求める嘆願書を提出しに来たのだという。
「対立が続けば辞任を求められることは解ってはいたから、そう驚きはしなかったが……。将官には旧領主層に与する者が多いから、私には少々抑えきれないところがある。かといって、私が辞任したら後任は間違いなく守旧派の誰か――おそらくはフォン・シェリング大将ということになるだろう」
   フォン・シェリング大将が陸軍部長官となったら、一気に戦争へと突き進んでしまう。それだけは何としても避けなければならない。
「ヴァロワ長官だけではありません。戦争反対の態度を取れば、私の許にも辞任を要求する声が出て来るでしょう」
   フォン・シェリング大将側からの圧力がかかっていることも、ヘルダーリン卿は付け加えて言った。彼は守旧派と進歩派の間にあって中立を守ってきた人物だから、フォン・シェリング大将はこの機会に彼を守旧派に組み込もうとしているのだろう。そうすれば、軍務省の二人の長官のうち、一人は彼に与することになる。
「戦争反対の立場にあるヴァロワ長官の意見に、私も賛成です。しかし、このままでは軍務省は二分してしまいます」
「既に二分している。軍務省は他省に比べて、くっきりと二極化している。今のところ、数の上では進歩派が多いようだが、彼等もフォン・シェリング大将から圧力をかけられれば主義を変えざるを得ないだろう。そしてフォン・シェリング大将の狙いは……」
   ヴァロワ卿は此方を見る。言いたいことは解っていた。私とて気付いていない訳ではなかった。

「私を孤立させることですね」
「宰相の力は今後さらに強くなる。そうなる前に、フォン・シェリング大将は地盤を固めておくつもりだ。ゆくゆく宰相を孤立させるためにな」
   私とヴァロワ卿が親しいことは、当然ながらフォン・シェリング大将も知っていることだった。彼はまずそれを切り離すつもりなのだろう。だから、ヴァロワ卿に辞任を迫った。そしてヘルダーリン卿がフォン・シェリング大将の思い通りにならないとしたら、ヴァロワ卿と同じように辞任を求めてくるに違いない。
「宰相閣下。ひとつお伺いしたいのです」
   ヘルダーリン卿は私を見て、改まった様子で問い掛けた。
「閣下は帝国の将来をどうお考えなのですか?現状維持をお望みなのか、それともまったく新しい秩序を求めてらっしゃるのか……」


   これまでヘルダーリン卿とこうして話したことはなかった。海軍次官としてロイの片腕であったということしか知らない。生真面目で実直な人間だと、以前ロイが言っていた。
「現状において、このままの帝国を維持することは不可能だと私は考えています。尤も新トルコ共和国のように急激な変化を求めるのは難しいこと。時間をかけ少しずつ変えていきたいと思っています」
   私が話し終えると、ヘルダーリン卿は私を見つめ、解りましたと言った。
「私も宰相のために微力を尽くさせていただきます」
「私はこの国にあっては急進的な意見を持っています。卿の主義とは少し反するのでは?」
「出来るだけ軍の内部を二分させないようにと、これまで中立を保ってきました。先程ヴァロワ長官が仰ったように、既に二極化してしまっています。私としては何とか中立でありたかったのですが、このような事態となってはどちらかに与するよう求められるのは必至。既にフォン・シェリング大将からそうした話が舞い込んでいました。しかし、私にはどうもフォン・シェリング大将の求める国家が理想とは思えなかったのです。宰相からもお話を窺い、そのうえで結論を出そうと考えていました」
「ヘルダーリン卿が協力してくれるとは心強いことです。だが私個人にではなく、この国のために尽力していただきたい」
   心得ました――ヘルダーリン卿は穏やかな表情でそう言った。
   このところ、敵も増えたが、味方も増えてきた。そのことは心強く、私に自信をつけた。
   自分の選択は間違っていなかったのだと、そう思えるようになっていた。


[2009.12.13]