翌日になって、私の身も自由となり、宮殿から帰宅することを許された。ロイは大将の階級と長官の職を解かれ、国外追放に処せられることになった。死刑を免れたのは、ヴァロワ卿達の助命嘆願のおかげか――と思ったら、そうではないようだった。
   宮殿に戻った皇女マリがすぐに皇帝と会い、自分がロイに宮殿から連れ出してほしいと頼んだのだと告げたらしい。ロイの処刑を決めていた皇帝は、皇女マリの必死の願いにより、罪を減じざるを得なかった。ロイを処刑するならば、自分は二度と皇帝と顔も合わせないし、口も聞かない。継承権も破棄し、生涯結婚しない――そう言い放ったとのことだった。皇帝はついに折れて、ロイを国外追放とすることを決めた。皇女マリはそれを聞いてさらなる減刑を求めたようだが、皇帝はそれを認めず、代わりに言い放ったのだという。
『お前の願いを聞き入れて、ハインリヒの罪を減じた。これ以上減じることは出来ぬ。そして私がお前の願いを聞き入れたということは、お前が為すべきことは解っているだろうな』
   皇女マリはそれに頷いた。皇帝の条件は今もなお、変わっていなかった。私と結婚し、女帝となること――それが皇帝の条件だった。
   私はこのたびの一件があったから、私自身の責任を取るため、宰相の職を辞するつもりでいた。宮廷を去ろうと思っていた。ところが、皇帝はそれを許さず、半年後には婚儀を行うことを告げた。


   私はもう皇帝の決めた道を進むしか残されていなかった。
   落胆のまま邸に戻ると、ミクラス夫人やフリッツ達がすぐにロイの処分がどうなったのか問い掛けてきた。

「国外追放に処せられることになった。ロイは北方に送られる」
   皆、死刑でなかったことに一度は安堵したものの、国外追放という重い罪を聞いて項垂れた。
「ロイはお前達を見かけたようだが……」
「ええ。ハインリヒ様もお気付きの御様子でした。ひと騒ぎ起こして憲兵達の気を惹いている間にお逃げいただこうと考えたのです。そうしたらハインリヒ様が抵抗も無く投降なさって……」
「そうだったのか……。見つかったらそのつもりで居たのだろう。二人には世話をかけた」
「いいえ。此方こそ何も出来ず申し訳御座いません」
   フリッツとパトリックは深々と頭を下げた。彼等は充分に働いてくれた。ハインリヒは皇女マリのことを考えて投降したに違いない。そうでなければ、私にあのような言葉を言う筈が無い。
『不幸にしないでくれ』
   自分の身のことは何も考えていないのだろう。向こう見ずな行動だとは思うが、ロイの行動は事情を知る者であれば誰も咎めはしないだろう。もしこのような国家でなければ。
「パトリック。済まないがもうひとつ頼まれてもらえるか」
「はい。私に出来ることならば何でも」
「国外追放になった者は文字通り、身体ひとつで追放される。手荷物など許されない。用意した1000ターラーを小切手に換えてあるか?」
「ええ。荷物にならない方が良いと思いまして、小切手には換えてあります」
「銀行はまだ明日中に引き出せるか?」
「それが、現在は凍結されていまして……」
「やはりそうか……。おそらく陛下が命じられたのだろう。ならば1000ターラーで仕方が無いな」
   逃走資金を絶つためだろう。早めに現金を引き出しておいて良かった。パトリックのことだから、上手く立ち回って、急な現金の引き出しのことは内密にしてもらっているのだろう。
「その小切手をヴァロワ卿に頼んで、ロイに渡してもらう。私からでは受け取ってはくれないだろうからな」
「ですが、フェルディナント様。このような時なれば、フェルディナント様が直にハインリヒ様にお会いになってお渡しした方が良いのでは……」
   ミクラス夫人が気遣わしげに言う。それに首を横に振って応えた。
「会いたくないとロイに言われた。……尤もなことだ」
「フェルディナント様……」
「本当は父上の形見の時計も持たせてやりたいが、装飾品は目立つ。小切手ならば胸の内に忍ばせておけば解りはしない。せめて他国に行ってもすぐに身を落ち着けるようにしてやりたい。……私の罪滅ぼしだ」
   パトリックは封筒を差し出す。1000ターラーの文字が書かれた小切手が入っていた。これを明日ヴァロワ卿に頼んで、ロイに密かに手渡してもらうことにした。



「勿論、構わないが……、宰相からでなくて良いのか?」
   ヴァロワ卿に宰相室に来て貰い、小切手の入った封筒を手渡して頼んだ。ヴァロワ卿はロイに会わせることは出来ると言ってくれたが、ロイが私を拒絶している以上、止めた方が良いだろう。それにきっと私からの物と解れば、受け取ってくれない。
「パトリックが渡してくれと言ったようだと伝えて下さい。私からでは受け取らないでしょうから」
「……解った。確かに預かった」
   この日の夕方、ヴァロワ卿はロイに封筒を届けるために牢獄へと赴いた。それから戻って来て宰相室に立ち寄り、ヴァロワ卿は教えてくれた。ロイは最初受け取ろうとしなかったが、ヴァロワ卿の説得に応じてついに受け取ったらしい。それを聞いたとき安堵した。
「ありがとうございました」
「いや。礼を言われるほどのことでもない。ところで、追放の日が決まったぞ。明日早朝だそうだ。経路はこの地図に記しておいた」
「ヴァロワ卿……」
「あいつのことだから何処へ行っても某かの術を手に入れるだろう。落ち着けば、宰相とも連絡を取り合い、他国で会うことも可能な筈だ。……しかし暫くはそれも叶わぬだろうから、少しでも顔を見せて遣った方が良い」
   今後一生会えないかもしれないとは、ヴァロワ卿は言わなかった。実際、国外追放となれば生きて再会するのは難しい。ヴァロワ卿もそれを知っていながら、此方に気遣っているのだろう。
   翌早朝、ケスラーの運転する車に乗り込み、ミクラス夫人やフリッツ、パトリックも伴ってロイの乗り込んだ護送車が通るのを街の片隅で待ち受けた。視界の端に灰色の車が見えた時、車から降りてロイの乗った護送車が通過するのを見た。車の窓には格子が張られてあったが、一番後ろにロイの姿があった。
   ロイは此方に気付いてちらと見た。私からはすぐに眼を逸らしたが、ミクラス夫人達には軽く目礼したようにも見えた。



   ロイが居なくなってからの邸は、酷く寂しいものだった。
   食欲すら失せ、連日の疲労が溜まったこともあるのだろう、私は暫く寝込むこととなった。熱に魘されている間、ロイの夢ばかりを見た。これは罰に違いなかった。私がロイを裏切ったことへの。

   もしまたもう一度ロイに会えたら、心から謝ろう。謝って済むことではないが、私はそうしてきちんと謝らなくてはならない。
   どうしようも無かった事ではない。ロイの言う通り、権力が目の前に躍り出て、思わずそれを取ってしまった私が悪かった。
   私さえ揺らがなければ、ロイは追放されることも無かっただろう――そう考えると、たった一度の判断違いが悔やまれてならなかった。


[2009.10.9]