足早に奥へと向かう。各省の本部のある宮殿の表部分と皇族達の居住する区域の狭間には衛兵が二人控えている。彼等は此方の姿を見るなり敬礼して、扉を開けた。此処からは皇族達の空間、奥と呼ばれる部分になる。
   廊下を歩いていると一室から壮年の女官長が現れた。声をかけようとすると、女官長は蒼白な顔をしてやっと声が出せるような状態で此方を見上げた。此方へ、と、女官長が出て来た部屋に招き入れる。
「只ならぬ様子だが何があった?」
「閣下……。閣下……」
   女官長はいつになくうろたえた様子で、次の言葉を紡げずにいた。
「落ち着いてくれ。何か生じたのならば此方も早急に対応しなければならない」
「エリザベート様が……。エリザベート様が、お亡くなりになりました……」
   皇女エリザベートが亡くなった――。
   その言葉を理解するのに数十秒を要しただろう。流石に私も言葉を失った。先月は皇女フアナが亡くなったというのに、立て続けに皇女エリザベートが亡くなるとは誰が予想出来ただろうか。それに皇女フアナの場合はその病ゆえに納得出来る節がある。皇女エリザベートは健康な女性だった筈だ。先週も皇帝の許で元気そうな姿を見たではないか――。
「死因は……?何故、エリザベート様が……」
「今朝まで……、今朝までお元気だったのです。お部屋を出る様子も拝見しました。いつものようにお声をかけて下さって……。お昼に御気分が悪いと仰って、御部屋に戻られたのです……。侍医に診てもらったら風邪のようだと……。それなのに……、急に吐血なさってそのまま……」
「念のために聞くが、エリザベート様はフアナ様と同じ体質だったのか?」
「いいえ。いいえ……。エリザベート様は滅多に風邪も召されなかった御方です……。何故このようなことになったのか……。陛下も皇妃様もマリ様も悲しみがあまりに深く……」
「陛下は今どちらに?」
「陛下の御部屋に……。皇妃様も御一緒です」
「其方に行こう」
   皇女エリザベートの死は、まるで皇女フアナや私のような体質特有の突然死のように思えた。しかし女官長も言った通り、彼女は健康体だった。
   滅多に風邪もひかない――これはよく憶えている。亡き父が頻繁に体調を崩す私と、健康な皇女エリザベートを比較して言ったものだった。そんな皇女が何故急死したのか。それも医師すらも原因が解らないとは一体どういうことなのか――。



   皇帝の部屋は深い悲しみに包まれていた。部屋には皇帝が茫然と椅子に座しており、側に侍従が控えていた。私が入室するなり皇帝は言った。
「何故だ……?何故、エリザベートが死んだ……?フアナは病弱ゆえ短命であったのは解る……。だが、何故エリザベートが……、あれだけ健康なエリザベートが突然死ぬ……?」
「陛下……。御心中、お察し申し上げます。エリザベート様の御逝去は私も驚くばかりで……」
「納得が出来んのだ。侍医のアドルフは風邪だと言っていた。単なる風邪で死ぬか?アドルフがきちんと診断出来ていれば、病名が解っていれば助かったのではないか……!?」
   皇帝は怒りに声を震わせていた。このままでは侍医のアドルフ・ベッカーが責任を問われることになるだろう。話を聞くからには侍医のベッカーには何の罪も無い。診断ミスがあったようだとも女官長は言っていなかった。
「陛下。どうぞお気をお静め下さい。ベッカーにはエリザベート様の病状と診断について報告書を提出させます」
「報告書だけで済ませられるものか!フェルディナント、今すぐアドルフを拘束し、取り調べろ。すぐにだ!」
「陛下。確実な診療ミスとなる証拠も無いままに拘束は出来ません。報告書を提出させ、そのうえで判断いたしたく存じます」
「エリザベートが死んでいるのだ!それ以上の証拠が何処にある!?フアナの死ももしやするとアドルフめの怠慢によるものかもしれん。徹底的に検察官に取り調べさせろ。奴の邸宅から何から全てだ!」
   宥めようにも、皇帝の怒りには凄まじいものがあった。二人も立て続けに皇女を失えば、医師を疑うのも無理も無いことかもしれないが、これでは二人の死亡の原因が全てベッカーに帰されてしまう。
「ならば陛下、私に取り調べさせて下さい。宰相室で彼を取り調べます」
   皇帝は鋭い眼で此方を見た。診療ミスならば取り調べる必要も出て来るが、まだ明確でない現段階で、厳しい取り調べを行う必要は無い。皇帝は皇女を立て続けに失って正しい判断が出来ない状態になっている。そんな状態で、人を罰してはならない。
「……良かろう。近日中に報告をしろ。……それから」
   皇帝は大きく溜息を吐き、目頭を押さえた。次の言葉を紡ぐのを躊躇するように両眼を閉じる。
「それから……、エリザベートの国葬の準備を……」
「承知致しました」
   皇帝に一礼して、それから部屋を後にする。外で待っていたらしい女官長に葬儀の用意を始めること、そして侍医のアドルフ・ベッカーを直ちに宰相室に寄越すように告げ、宰相室へと戻った。



「オスヴァルト」
   部屋に入るなり呼び掛けると、オスヴァルトは此方を振り返って返事をした。
「エリザベート様がお亡くなりになった。すぐに国葬の準備を取りはからってくれ。各省の長官には私が話す」
   オスヴァルトも驚きを隠せない様子で、言葉を失っていた。無理も無いことだった。つい先刻まで、皇女エリザベートの話をしていたところだったのだから。
   受話器を持ち上げ、まず内務省長官の許に連絡をいれる。国葬の準備を最優先するように告げてから、今度は国葬の際の警備について話し合わなければならないため、軍務省の内線に繋ごうとした。


   傍とその手を止めた。
   第一皇位継承者であった皇女フアナに引き続き、さらに次の継承者であった皇女エリザベートも死去した。ということは、現在における継承者は皇女マリということになる。つまり、皇女マリがいずれ皇帝と――帝国史上初めての女帝と――なる。

   女帝が誕生した場合、帝国の法律では夫となる男が女帝の補佐となることが決められている。それはつまり事実上の皇帝となる――と。
   ロイが皇帝と同じ権力を持つことになるというのか――。

「閣下……?どうかなされましたか?」
「あ……いや……」
「私はこれから内務省に行って参ります。携帯を持っていきますから、何かありましたら連絡を……」
   その時、誰かが来訪した。我に返って扉の方を見遣る。おそらくは侍医のアドルフ・ベッカーだろう。
「解った。それから私は今から侍医のベッカーから話を聞かなければならない。済まないが、各省への連絡も頼む」
「解りました」


[2009.9.19]