第3章 消えない罪科



   皇女フアナは先天的に虚弱な体質だった。私と同じ病を抱えていた。
   しかし、加齢と共に症状が和らぎつつある私とは対照的だった。皇女は幼い頃は宮殿の外に出ることも出来たらしい。それが次第に悪化していって、殆ど外に出られない身体となってしまった。
   皇女フアナの訃報を受けて宮殿に向かうと、女官長が宰相室に来て皇女死去までの経緯を教えてくれた。皇女フアナは今日の夕方――午後6時頃――、廊下で倒れた。それまで何の兆候も無かったらしい。むしろ今月に入ってからは体調の良い日が続いていたのだと言う。
   それが突然、夕方に倒れて意識不明の状態に陥り、午後7時56分に息を引き取った。そうしたことから察するに、皇女フアナを襲ったのはこの病によくある突然死というものだろう。

「陛下も皇妃様も御心痛深い御様子。宰相閣下にはフアナ様の御葬儀等を取りはからっていただきたく……」
「承知した。すぐに国葬の準備を整えよう」
   女官長が去ってから、オスヴァルトに連絡をいれてすぐ宮殿に戻ってもらい、皇女フアナの訃報を報せた。
   其処からは慌ただしい日々が続いた。国葬の日程をはじめ詳細を決めて、それからメディアへ通達し国民に報せる。その間、政務を留めることも出来なかったが、皇帝が執務室に現れなかった。そのため、殆どの書類を私の権限で処理して、後に皇帝に報告することになった。

   また、皇女フアナの逝去に伴い、もうひとつ重要なことを決定しなければならなかった。皇女フアナは皇位第一継承権を有していた。これを抹消し、第二皇女エリザベートに継承権を委譲しなくてはならない。書面上のことではあるが、此方の決定には皇女エリザベートの認可だけでなく、皇帝と皇妃、それに皇女マリの認可も必要となる。皇帝が執務室に現れた時にはその件について確認を取らなければならなかった。

   皇女フアナの突然の訃報には誰もが驚いたが、先天性の病ゆえに誰もが納得した。国葬が終わり、墓所に埋葬され一週間が過ぎようかとした頃、皇帝は漸く執務室に現れた。そのためこの日、皇帝の許に行き、継承権の委譲と政務事項の報告を行うことにした。
「フアナは誕生した時から短命だと告げられていた。成人まで生きられないかもしれないと言われ続けてきた。そんなフアナが28歳まで生きられたことは……幸いと思わねばな……」
   皇帝は机の一点を見つめて、寂しげな様子で語り始めた。
「倒れた日はまったく普段通りだった。むしろ体調の良い日だった。共に朝食を囲んだ時、暖かくなったら散歩に出たいとフアナが言った。この頃、体調の良い日が続いていたから、春になりフアナの体調が芳しい時ならばという条件で、それを許可した。フアナはとても喜んでいた。待ち遠しいと言っていたのだ。……それが、私との最後の会話だ」
「陛下……。御心痛、お察し申し上げます」
「廊下に倒れ込んだフアナを女官が見つけ、すぐに医師を呼んだ。しかしもうその時には心臓が止まっていて息もしていなかった……。蘇生を何度試みてもフアナの心臓は動かなかった。医師は突然死だと言った」
   皇帝は話し終えると目頭を抑える。そしてそれを振り切るように首を横に振り、此方を見て言った。
「悲しいが……、悲しんでもフアナは戻らない。それにこれ以上、政務を滞らせてはならない。フェルディナント、お前には私の不在の間、世話を掛けた」
「いいえ。宰相として当然の務めを果たしたまでのことです」
「お前もフアナと同じ病を抱えている身。無理をせぬようにな」
「私如きに勿体無い御言葉をありがとうございます」
   深く一礼してから、一息置いて、皇帝に継承権の話を持ちかけた。皇帝はそのことを予想していたようで、第二皇女エリザベートを第一継承者とする手続きを明日、執り行うこととなった。これでひとつの問題は片付いた。
   それから皇帝の不在の間の政務について報告をした。皇帝は頷きながらそれを聞き、最後に言った。
「フェルディナント、私が政務を行えない時はお前の裁可に依って構わない」
「御言葉ですが、帝国内の最高決定権は陛下が握っておられます。私では……」
「私はお前に絶対の信頼を置いている。お前ならば間違った道を歩むことはない。それに来年には親族となる間柄だ。今以上にお前を頼りにしたい」
「ありがたい御言葉ですが陛下、私はまだ若輩者ですので陛下の御判断を仰ぎたく存じます」
「宰相となってもう8年だ。それに若いとはいえ、才がある」
   これまで皇帝は政務を逐一報告することを求めてきた。帝国内の全てを把握しておかなければならない――皇帝はいつもそう言っていた。その皇帝が一体どういう風の吹き回しなのだろうか。皇女を失った悲しみが深く、暫く政務から遠ざかるつもりなのだろうか――そう思った。





   皇女フアナの突然の訃報のため、翌月に予定していた皇女マリとロイの婚約発表はひと月延期することになった。残念だけど仕方が無い――と皇女マリはロイに言ったのだと言う。1月も末となり、皇女の訃報から半月が経とうとしていた。漸く宮殿内は日常を取り戻しつつあった。
「閣下。小耳に挟んだことなのですが……」
   執務が一段落して休憩を取っていると、オスヴァルトが話しかけてきた。
「フォン・シェリング大将が御自身の息子をエリザベート様の結婚相手に薦めるそうです」
「フォン・シェリング大将が?」
   フリデリック・フォン・シェリング大将は軍務省のなかでも陸軍に所属している。ジャン・ヴァロワ長官の部下ということになるが、いつも彼の存在には頭を悩ませているのだとロイは言っていた。彼は旧領主層であり、新トルコ王国への侵略を提言する1人だった。また、領地を国家に返還するという新法にも従っておらず、依然、広大な領地を所有している。その彼が第一継承者となった皇女エリザベートに息子を薦めるということは、彼の魂胆があまりに見え透いていた。
「御自身の力を高めたいのでしょうね。息子のフォン・シェリング少将は27歳で、確かにエリザベート様と釣り合いは取れますが……」
「まだ陛下にその話は耳に入っていないのだな?」
「ええ。昨日、内務省の元同僚達と話していた折に囁かれていたことです。エリザベート様はまだ恋人はいらっしゃらない御様子ですし、フォン・シェリング家の者となれば陛下も許諾するかもしれません。その場合、国家の風向きが変わらなければ宜しいのですが……」
「そうだな……。フォン・シェリング家は伝統ある一族だ。だがエリザベート様は御聡明な方ゆえ、侵略戦争を起こすことも無いと思うが……」
   皇女エリザベートとの結婚となれば、皇位も絡んでくることとなり、皇帝も慎重になるだろう。フォン・シェリング家はその意味では不足の無い家だが、オスヴァルトの危惧する通り、私やオスヴァルトのような進歩的な思考を有する者にとっては少々政務が執り辛くなるかもしれない。
「内務省時代の同僚達が言っていたことですが、閣下がエリザベート様と結ばれれば良いと。私もそう思います」
「私がエリザベート様と?お前達は一体普段どのような話をしているのだ」
「閣下のような思想を御持ちの方であれば、この国は安泰かと思います。年齢もちょうど良く釣り合いが取れます。それに現実的に無理な話でも無いでしょう。閣下は旧領主層でもあるロートリンゲン家の方ですし……」
「冗談もほどほどにしてくれ」
   ロイが皇女マリと結ばれるというのに、私までも皇女と結ばれたなどとなったら、誰もが私の策略だと考えるだろう。尤もオスヴァルトはまだロイと皇女マリのことを知らないからこのようなことが言えるのかもしれない。
「ですが閣下、皆そのように考えているようですよ」
「そのような噂が陛下のお耳に入らないようにしてくれ」
   オスヴァルトは笑いながら頷いた。まったくとんでもない噂だった。確かに皇女エリザベートは美しく聡明で素敵な女性ではあるが、これまで恋愛の対象として考えたことも無い。
   不意に机の上の電話が鳴る。短い発信音からして、内線電話のようだった。受話器を取ると、女官長の声が聞こえて来た。すぐに此方に来てほしいと言う。
「オスヴァルト。奥に行ってくる」
「どうかなさったのですか?」
「用件は解らないのだが女官長からの要請だ。ああ、私が奥に行くことは内密にしておいてくれ」
「解りました」
   何か生じたのだろうか――一抹の不安が過ぎった。皇女フアナが逝去した折もこんな風に女官長から電話がかかって来た。まさか皇帝に何か生じたのか。


[2009.9.19]