酷い揺れが終わると、窓から大地が見えた。機内は着陸態勢に入る。ロイも席に戻ってきて、私の隣に腰掛けた。
「エディルネまで車を手配する必要があるな」
「ああ。その前に機長にどの辺に着陸したのか聞いておかなければ……。先程の副機長の言葉ではさほど遠くないのだろう」
   視界に大きな建物が映る。ホテルの文字が見えた。エディルネから少し離れてしまうと下手をすれば何も無い山奥に放り出されることになるが、どうやら街から近い場所に着陸できそうだった。
「ルディ。その手すりを持って確り身体を支えていろ。滑走の距離が足りないから、強い衝撃が来るぞ」
   ロイのその言葉から二分も経たないうちに、身体を引っ張られるような強い衝撃が襲いかかってきた。轟音のような激しい音も聞こえてくる。やがて機体がぴたりと止まって、副機長がやって来た。

「閣下。御怪我はございませんか」
「私は大丈夫だ。皆に怪我が無いか聞いて回ってくれ。それから機長室の通信は使えるか?」
「それが嵐に巻き込まれた時から通信レーダーが狂ってしまい、使えないのです。ご不便をおかけしますが、此方がお車を手配するまで暫く機内でお待ちいただくことになるかと……」
「解った。出来るだけ早急に手配を頼む」
   程無くして機長がやって来て、今回の事態を丁重に謝罪した。自然現象なのだから仕方が無いと告げると、彼は安堵した様子で、状況を教えてくれた。この機の通信が壊れてしまい、おまけにこの付近では携帯すらも通じないらしい。
「街までそう距離は無いな。ならば歩いて救援を要請してこようか」
「そうだな。その方が早そうだ」
   ロイが護衛官1名を引き連れて行くと告げると、機長は慌てて大将閣下を歩かせる訳にはいかないと告げた。本当は私がロイと共に機外に出たかったが、立場上そうすることも出来なかった。
「機長!救援が……!」
   その時、もう一人の副機長がやって来て、救援が来た旨を伝えた。窓の外を見ると、遠くから消防車と救急車、それに何台かの車が近付いて来ている。
「通信が使えなかったのに何故救援が?」
   機長でさえ突然の救援に驚いて眼を丸くした。しかしすぐに我に返って、非常用の出口を開けるよう副機長達に指示を下す。
「御案内致します。閣下。此方へ」
「先に事務官達を機外へ。後ろに居る女性が随分不安がっていたから彼女を優先させてくれ」
   機長はまたもや驚いた顔をしたが、部下達を先に脱出させるのは当然のことだった。彼等はロイと私に先を譲ろうとしたが、ロイも私も彼等に先を促し、最後に機外に出た。



   外の空気を吸い込むと、先程までの気分の悪さが吹き飛ぶようだった。先に降りて救援に来た者と話をしていた事務官の一人が側にやって来て言った。
「救援要請を出したのは、新トルコ王国の軍務次官とのことです。滞在中のあのホテルから機体が見えて、要請を出したという話です」
「新トルコ王国の軍務次官か。国際会議のために此方にいらしているのだろう。そうか……。解った。ところで車は何台ある?この人数に足りるか?」
「はい。私はあちらの車に乗り込みますので、閣下方はこの車にお乗り下さい」
「では済まないが君はホテルに着いたら、宮殿に連絡を入れて無事を伝えてくれ。私はハインリヒと共に新トルコ王国の次官の許に礼を述べにいく」
   ロイを見遣ると、ロイも頷いてみせた。事務官の中年の男は自分達が先に行くことに躊躇したようだが、通信が途切れた以上、宮殿への連絡は急務だということは彼も納得したのだろう。そして救援要請をしてくれた新トルコ王国に対して礼を尽くさねばならないことも。
「解りました。では後程ホテルで」
「頼んだぞ」
   その事務官は一礼すると、自分の乗り込む車に向けて小走りで向かっていく。別に用意された一台にロイと共に乗り込む。運転手にホテルを指して、其方に向かってほしいことを告げる。
   走り出した車のなかで、ロイは思い出すようにして言った。
「新トルコ王国の軍部次官とは一度国際会議で顔を合わせたことがある。確か一昨年……そうだ、俺がまだ長官になる少し前のことだ。前長官の出席に随行した」
「一昨年……。一昨年の国際会議は確かオスヴァルトが出席していた筈だ」
「ああ。副宰相と軍務省の前長官と俺が参加している。確かお前は別件で忙しくて、副宰相に代理を頼んでいた。その時の会議に新トルコ王国の代表として列席していたのが次官だ。切れ者そうな顔をしていた男で……。確かあの当時、新トルコ王国の軍部長官が交替した直後だった。噂によればその次官が長官に目されていたらしいのだが、彼より年下の男が長官となったので会議後の談話でも騒がれていた」
「そういえばそのような噂を聞いたことがあるな。大将となって間もない人物が長官になった、と」
「長官の方とは会ったことが無いがな。名前は何と言ったか……」
「アンドリオティス長官にムラト次官だ」
「流石だな。よく憶えている」
「各国の長官級の人物は憶えていなくては仕事にならないからな。しかし私はあちらの外交部となら何度か顔を合わせたことがあるが、軍部とはこれまで接点が無い」
「ムラト次官はなかなかの切れ者だ。俺達より少し年上で、これもまた噂だが、影で長官を操っていると聞いたこともある」
「それはまた興味深い話だが、もうすぐホテルに到着だ。ロイ」

   ロイはほんの少し緩めていたネクタイに手を遣り、きつく締め直した。車がホテルに入っていく。玄関の前で停車して、ホテルのドアマンが車の前に歩み来る。運転手に礼を述べ、ロイの降りた後に車を降りる。
「総支配人に会いたい。私の名はフェルディナント・ルディ・ロートリンゲンだ。総支配人には火急の用があると伝えてほしい」
   一人のドアマンが一礼するとすぐにホテルの中に入っていく。ロビーに入り、5分も待たされなかった。慌てた様子で中年の白髪交じりの男が現れて、恭しく頭を下げた。
「両閣下にはお初に御目にかかります。総支配人のアルフレッド・ビューローと申します。このたびは本当に難儀で御座いました。さ、どうぞ此方の部屋にお越し下さい」
「此処で充分だ。忙しいところを呼び出してしまって済まない。少々尋ねたいことがあるのだが、構わないかな」
「私にお答え出来ることで御座いましたら……」
「このホテルに新トルコ王国のムラト次官が滞在なさっていると聞く。ムラト次官とお会いしたいのだが、取り次いで貰えるだろうか?」
   総支配人の男はすぐにムラト次官に連絡を取ってくれた。
   そして20分後にこのホテルの特別室で面会することとなった。


[2009.9.4]