心地良い風がさわさわと流れていく。
   その風に乗って、花の香りが漂う。この一年、この二つの墓前から花が絶えたことは無い。
   一年――。来週でもう一年になる。
   一年という時間が、如何に短いものなのかを思い知らされる。

   ルディの墓碑には帝国宰相の文字が刻まれていた。一度は解かれた称号が死した後でもう一度与えられた。
   ヴァロワ卿の墓碑には、元帥の文字が刻まれていた。帝国が崩壊したあとでの特進は異例のことではあったが、この国のために一身を捧げたことを上層部が考慮して、元帥の称号が与えられた。
   そしてこの二つの墓石から少し離れた場所に、マリの墓もある。ルディとヴァロワ卿の葬儀から一段落したあと、ロートリンゲン家でひっそりと葬儀を執りおこなった。マリの死は政府が公式発表したが、その埋葬地は伏せられていた。皇族への非難は未だ強く、墓を荒らされる危険性がある、そう考えてのことだった。
   皇帝に罪を問う国際司法裁判はつい先日、結審した。皇帝は当初、ルディとヴァロワ卿に全ての罪を着せようとしたが、アンドリオティス長官はじめ帝国陸軍部の将官達、それに俺の証言によって覆された。皇帝には実刑判決が下り、永久の公職追放、そして懲役20年が科せられた。陸軍部で守旧派に属していた将官達も、公職追放が言い渡された。


   帝国は帝国暦280年、西暦2331年9月28日に事実上、滅亡した。
   直後に旧省の長官と議会による暫定政府が成立し、初の首相選挙が行われ、12月6日に西欧連邦として新たな出発を遂げた。

   この一年、色々なことがありすぎた。日常という平穏なものが何処かに行ってしまったかのようで、まだ非日常が自分を取り巻いているように思えてならない。

   俺はルディと同じ年になった。ひとつ年を取ったからといって、自分自身が何か変わった訳でもないが、取り巻く環境は一変した。
   新政府によって、旧領主層は解体させられた。屋敷を除いては、保有している所領地は国に没収された。既にルディの政策によって所領地を返上していたロートリンゲン家やハインツ家にはさほど影響は無かったが、所領地からの利益によって家を維持していた旧領主家は、屋敷すらも失う者が出てきた。
   また、旧領主家による政府事業への巨額投資も禁止され、ロートリンゲン家も国立の文化団体や教育機関への寄附を禁じられた。とはいえ、投資への要望が強いため、今度議会を通る法案によって、ある一定枠内での投資が認められることになるだろう。
   旧領主という称号を無くしたロートリンゲン家は、文化や教育への振興に寄与する財団を設立した。祖父の代から投資していた貿易会社の利益が、近年になってはね上がったこともあり、財団を拠出するだけの充分な資金力はあった。たとえ、旧領主解体の際に、屋敷地も没収されることになっても、それを買い取る資金も確保していた。

   これらは全てルディが整えていたことだった。旧領主解体となっても、ロートリンゲン家が困らないように。旧領主という特権に依らずとも、家を維持出来るように。
   改めて、ルディの才力に感服する。

   そして、帝都郊外にあったヴァロワ卿の家は相続者が居なかったため、軍務省に寄附することが決まった。ヴァロワ卿の家のなかにあった数え切れないほどの書籍は、ロートリンゲン家が引き取った。
   ヴァロワ卿とルディが話していると、時として会話に入り込めないこともあったが、それもその筈だった。ヴァロワ卿の知識量が半端ではなかったことは、その書籍の山を見れば頷ける。軍からの給与を全て本に費やしていたのではないか――とオスヴァルトが言っていたが、多分、その通りなのだろう。
   ヴァロワ卿の蔵書は、ロートリンゲン家が設立した図書館に置いた。こうした方が、ヴァロワ卿も喜んでくれるだろうと考えてのことだった。


「あ……」
   背後から声が聞こえて振り返る。
   アンドリオティス長官が立っていた。その手に三つの花を持って。
「アンドリオティス長官……」
「久しぶり。其方も変わり無さそうだな」
   アンドリオティス長官は笑みを浮かべて言った。
「共和国からわざわざ此方へ……?」
「休暇が取れてね。俺も花を手向けて良いかな?」
   どうぞ――と応えると、アンドリオティス長官はヴァロワ卿とルディ、そしてマリの墓の前にそれぞれ花を供えていった。それからルディの墓の前に戻って来て、胸元から何かを取り出す。写真のようだった。
「共和国を案内できなかったから……、せめて写真をと思って持って来た」
   花束の下にそっと写真を置く。アンドリオティス長官は眼を閉じて静かに祈りを捧げた。

   アンドリオティス長官は、戦争での功績を国際的にも称えられ、国際会議が新たに組織した連合国軍の初代司令官への就任を求められた。しかし当のアンドリオティス長官はそれを固辞し続けていると聞いている。
「……連合国軍の初代総司令官となる話は、まだ引き受けていないのですか?」
「引き受けるつもりは無いよ。俺はそんな器じゃない」
「しかし貴方が適任だと皆が……」
   アンドリオティス長官は首を横に振って笑む。ヴァロワ卿の墓を見て言った。
「ヴァロワ大将なら適任だっただろう。俺はヴァロワ大将ほどの指揮能力は無いよ。……それに本当は長官も辞任しようと考えていたのだからな」
「え……?」
「戦争が終わってから、辞表を提出したものの却下されてしまった。軍も未だ二派に分かれている時に、俺とムラト大将が辞任したら、後任が居なくなると説得されてね。結局、この立場に留まった」
「そうでしたか……」
「王国から共和国に移行したとはいえ、まだまだ課題は多いからな。……君こそ、連合国軍の司令官の一人として名が挙がっていたと聞いているが?」
「私は軍を退役した身です」
「この西欧連邦もアジア連邦も君を随分説得したとか。フェイ次官が最後まで君を引き止めたと聞いているが……。確か、上級大将への昇進の話もあったのだろう?」
「全て断りました。旧領主層が解体された今、私のような旧領主家出身の者がそういう立場に立つべきではありませんから」
   そう応えると、アンドリオティス長官は笑みを浮かべた。
「やっぱり兄弟だな。よく似ているよ、話し方が」
   こうして話しているとルディのことを思い出す――、アンドリオティス長官は言いながら、眼を細めた。
「……ルディは貴方との四日間が楽しかったと言っていました」
「私も楽しかった。ルディと話していると時間を忘れてしまってね。……もっと話したかったが……」
   アンドリオティス長官は、ルディの墓を見つめる。
   その時、来月に迫った議員選挙の投票を呼び掛ける宣伝車が、丘の下を通っていった。アンドリオティス長官は其方を見遣って、来月か――と呟いた。
「ええ。連邦になって初の議員選挙となりますから、力が入っているようです。……アンドリオティス長官、アラン・ヴィーコという男を知っていますか?」
「……聞いたことが……。ああ、アクィナス刑務所でルディの側に居た人物か? 確か無罪を主張していた……」
「ええ、そのアラン・ヴィーコが今回の選挙に出馬するそうです。先日、彼からそう聞きました」
   アラン・ヴィーコは昨年、アクィナス刑務所を仮釈放されてから、裁判で無罪を勝ち取った。ルディから彼は無実だと聞いており、また彼から直接聞いた話からもそれが明白だったことから、裁判費用や弁護士手配の一切を支援した。その縁があって、その後も何度か彼と会う機会があった。アクィナス刑務所での実にルディらしい一面も、彼から聞くことが出来た。
   そのアラン・ヴィーコは、無罪判決が出た日、政治家を志すことを告げに来た。
『ルディにどれだけ先見の明があったかは俺自身もよく知っているし、その才覚は到底俺が及ぶものではないことは解っているが、だが出来る限りルディの志を継ぎたい』
   では出来る限り此方も支援する――そう言ったら、彼は首を横に振って、こう言った。
『裁判でも随分世話になった。だからこれ以上甘える訳にはいかない。俺はこれから暫く、政治の勉強をする。それから選挙に出るつもりだ。その時、俺の公約が納得するものであったら、応援してほしい』
   来月の選挙は既に多数の候補者が名乗りを挙げている。激戦となるのは必須だが、巷の噂によると、アラン・ヴィーコの名は広まっているようだった。
「そうか……。彼が……」
   縁とは面白いものだな――とアンドリオティス長官は言って、そう言えばと別の話を切り出した。
「ロートリンゲン家が所有していた土地を新政府に寄附したと聞いた。会議施設のようなものを作ると聞いているが……」
「ああ、あれはルディの所有していたものです」
「ルディの……?」
「亡き父が、私がロートリンゲン家を継ぐ代わりに、ルディに宮殿近くのアークパークの土地を購入してそれを譲り渡したのです。其処に建てる屋敷の費用も一緒に。ルディは戦争が終わったら静かな場所で暮らすと言っていたので、おそらくあそこは政府に寄附するつもりだったのでしょう。だから寄附したまでのことです」
   アークパークの土地は宮殿から程近いところにある。各省の吏員や議員達が使用するのに便利が良いだろう。ルディの遺志を考慮し、フリッツやパトリックとも話し合った結果、施設の建設資金と共に土地を政府に寄附した。
   少しでもルディの遺したものをこの国のために役立ててほしかった。
   そうすれば――。
「そうだったのか……。ルディはきっと、喜んでいるだろうな」
   そう言い当てたアンドリオティス長官に微笑み返す。アンドリオティス長官は、夕方の列車で共和国に戻るらしく、少し街を見てから帰ると言って去っていった。


   風がさわさわと花を揺らす。耳を澄ましていると、まだ先程の選挙宣伝の車の声が聞こえてくる。

   この国は大きく変わった。
   変化への犠牲はあまりに大きかった。戦争での戦死者は数万人に上った。しかし、民間人への被害は無く、また戦争の規模を考えれば戦死者数は少ないほどで、それはヴァロワ卿の尽力あったのことだった。
   そして、この国の変わるきっかけを作ったのは、ルディだった。
「ルディの望んでいた世界か……」
   悲しいことだが――。
   だが、望みだけは叶ったかもしれない。
   ルディの望んでいた世界が漸く幕を開けた。
   なあ、ルディ――?


〜END〜


[2010.4.12]