「やあ、ルディ」
   レオンが見舞いに来ることは、ロイから聞いていた。忙しいのに大丈夫だろうか――とは思ったが、会えることの喜びの方が大きかった。
   リヤドでの別れ際、また会おうとは言ったものの、あの時の私はレオンと再会出来るとは考えていなかった。皇帝の不興を買うことを承知のうえ、どのような処分を受けても構わないと覚悟を決めて、宮殿に戻った。
   それが――、こうしてまた会えるとは。
   レオンは私と別れた時と何も変わっていなかった。私の側に歩み寄ると、具合はどうだ――と尋ねて来る。
「大分良くなった……。レオン、私は礼を言わなくては……」
「礼を言うのは俺の方だ。命を賭けて俺を助け出してくれた。君が脱出させてくれなければ、俺は今この世には居ないよ」
「レオン……」

   私は――。
   もっと早くレオンという人間と出会いたかった。
   否、マルセイユで会った後に連絡を取っておけば良かった。様々なことを相談することが出来た筈だ。侵略戦争に至る前に共和国の力を借りて、国際会議に申し立てをすることも出来たかもしれない。
   そうすれば、もしかしたら、帝国の暴走を止められたかもしれない。
   今、悔いても仕方の無いことか――。

「レオンとの四日間は……、とても楽しかった……。あのような状況で……、不謹慎なこととは、解っているが……」
「俺も楽しかったよ。それに俺はルディと話していると時間を忘れてしまう」
「私も……。レオンの話は、物事の違った面に……、気付かされるようで……」
「マルセイユの時も楽しかったよな。ムラト大将にはマルセイユで会った人物が宰相だったと言ったら、驚かれたのだが」
   笑い返すと、レオンはお互いにまさかそうだとは思わないよな――と言った。
「まだ……、帝国に居るのか……?」
「この間、一度共和国に戻ったよ。ムラト大将に呼び出されてね」
「ムラト次官とは……、仲が良いのだな」
   するとレオンは笑いながら肩を竦めた。
「逆らえない先輩だ。士官学校の寮での先輩でね。良いことも悪いことも色々教えてもらったよ」
   共和国の軍部は、確りと一本の柱で纏まっているように見える。レオンとムラト次官は非常に連携が取れていて、互いに信頼し合っているようだった。
   だから、ムラト次官がレオンの上官だった時期があるのかと思っていたが、そういうことだったのか――。道理で息の合っている筈だ。
「久々に国に戻ったら、空の色が違って見えた」
「共和国の方が……、空気が、澄んでいるのだろう」
「帝国ほど都会ではないからだろうな。なあ、ルディ」
   レオンは私の顔を凝と見つめ、笑みを浮かべて言った。

「回復したら共和国に遊びに来ないか? 俺が案内する」
「共和国に……?」
「勿論、ルディの身体のことも考慮して、移動手段を少し考えなくてはならないけど……。だがリヤドまで行けたんだ。あと少しで国境というところまで。……それなら少しずつ休みながら移動すれば大丈夫だろう?」
   新トルコ共和国に――。
   帝国と歴史も違えば風土も違う。ずっと興味を抱いていた国のひとつだった。
「行ってみたい……」
「それなら決まりだ」
「だが……、私が国外に出ても……、良いのか……?」
「問題は無いよ。それに帝国内の混乱も年内には落ち着く。それまでにルディは身体を治すことだ」
   他国に行くことが急に現実味を帯びてきて、思わず顔が綻んだ。
   私はこれまで一度も、帝国以外の土を踏んだことがなかった。外交官となってからも体力的な問題で、移動の少ない部署に籍を置いていたから――。
「楽しみだ……」
「古代遺跡がかろうじて残っているしな。ルディはそういうのは好きかな?」
「ああ……。興味がある……。共和国、には……、惑星衝突……を、免れた……遺跡が、ある……と……」
「俺の家から結構近いんだ。子供の頃にはよく遊びに行ったよ」
   案内する――とレオンは言ってくれた。
   見てみたい。これからは、今迄出来なかったことに挑戦したい。様々な国を回り、文化を見て回って――。
   傍とあることに思い当たって苦笑した。
「どうした?」
「父が……、父がやりたがっていた……ことと……、同じこと……を、望んで……いる……ようだ……」
   父は母と共に国内に限らず、海外の美術館にも足を運んでいた。母が急逝してからは、父は気が抜けたようになり、それまでのように出歩くことも少なくなった。そして父自身も病に倒れ、望み半ばのままこの世を去った。様々な国の文化を見て回りたかった、ということも父は晩年になって呟いていた。
   その父の血を、私も確り受け継いでいるということだろう。
「美術品が好きで、博物館や美術館に多大な支援を行っていたとは聞いているが……」
「ああ……。父は……私に……、美術家になるよう……勧めてな……」
「美術家? ではルディは絵か工芸品か、嗜んでいるのか?」
「いや……。絵を……習ったことは、あるが……、上手くも無い……。それに、私は……、そうした……文化的なことより……も、政治……に、興味が……あって……」
「そうだったのか。俺はてっきり幼い頃から政治や経済についての英才教育でも受けていたのかと……」
   よく言われることだった。軍人の家系にあって、身体が弱く軍人となれなかった私に、父が官吏としての英才教育を受けさせたのではないか――と。
   だが、それは違う。父は私に官吏の道を勧めたことは一度も無いのだから。

   こうしてレオンと話をしていると、何故かとても安心する。今後のことにも、不安を抱かなくて良いのだと思える。
   しかし、ただ一点だけ――。
「レオン……。回復したら……」
「ああ。俺がきっちり予定を立てておく」
「その前に……、裁判を……」
「……裁判……?」
「私……は、裁かれるべき……人間だ……。だから……」
「それは気にすることは無い。帝国の内情は軍務省の将官達からも話を聞いている。ルディには罪が無い」

   それは違う――。
   皇帝の命令を受け、詔書を作成していたのは私なのだから、私が責任を逃れる訳にはいかない。私は何としても皇帝を止めなければ、諫めなければならない立場だったのだから。

「裁判を……受けさせて、くれ……。そうしないと……、帝国は……、新たな一歩を、踏み出すこと……が……」
   急に咳がこみ上げてきて言葉を中断する。大丈夫か――と、レオンが胸を摩ってくれた。長時間、話したからだろうか。咳が止まらない――。
「誰か呼んでくる」
   レオンが立ち上がり、部屋の外に行った。すぐにロイとミクラス夫人がやって来て、私の身体を横に倒し、ゆっくりと背を摩ってくれた。
   治まれ――と自分で自分の身体に言い聞かせた。レオンにはまだ話したいことがある。もう少し話がしたいのに――。

   漸く咳が収まった時には疲れ果てていて、眼を開けていられなくなった。少し休むよう、ロイが私の身体を仰向けにしながら促す。そのロイの隣で、レオンは心配げな表情を浮かべていた。
「……レ……」
   声を発するとまた咳き込んでしまいそうで、言葉を止めた。レオンは確り養生しろ、と言った。
「また見舞いに来る」
   ありがとう――口を動かして、その言葉だけを紡いだ。レオンは微笑んで、ロイとミクラス夫人に挨拶をして部屋を去っていく。ロイがレオンを見送りに出てくれた。
「さあ、フェルディナント様。少しお休み下さい」

   早く回復しなければ――。
   これでは、自分の思いもなかなか伝えられない。私は裁きを受けるべき人間だ――と。この点だけはレオンの厚意に甘えてはならない――。
   瞼が重くのし掛かってくる。眼を開けていられない。早く、早くこの状態から回復したい――。


[2010.4.3]