長期戦となれば帝国は不利になる――少し考えれば誰でも解ることなのに、欲に絡んだ眼ではそれが見えなくなってしまうのか。
   明らかに分の悪い戦いで、兵士達も勝てる見込みが無いと囁いているというのに、上層部はそれに耳を傾けない。奇策を用いようと将官達は作戦を練っているが、どの作戦も的外れなものばかりだった。フォン・シェリング大将に至っては戦っていればいつかは勝つ――と言った風に、悠長に構えている。
   下士官や兵士達はそんな上層部に愛想を尽かし始めている。ラッカ支部で的確な指揮を執っていたウールマン大将も、連合国側に捕らえられたという報告以来、消息が知れない。連合国側は連日、降伏を求める声明文を送ってきている。

   フォン・シェリング大将はそれを気に留める様子も無い。この戦争に勝ち目は無い――と私が会議の場で断言したら、顰蹙を買った。上層部の人間は兵士達のことなど眼中にない。最前線で戦う彼等が一番戦闘の状況を解っているというのに――。

「閣下!大佐!連合国軍がザグレブ支部を制圧しました。此方に向かっています」
   トニトゥルス隊の少佐が部屋にやって来て報告する。側に居たカサル大佐が意見を求めて此方を見遣る。
「このザルツブルク支部ならびに周辺地域に在籍する兵士を全員集めろ。戦いの前に全隊員に伝えておきたいことがある」
   カサル大佐が敬礼してこの場を去っていく。
   時は満ちたといったところか。

   それにしても――。
   ブラインド越しに窓の外の光景を見ると、不審な人影が三人確認出来た。おそらくはフォン・シェリング大将の命令で私の命を奪いに来たのだろう。
   彼らしい――。

   考えてみれば、フォン・シェリング大将との確執は長い。士官学校を卒業して入隊してからのことではなかったか。
   士官学校を卒業して少佐となり、配属された部隊の指揮官がアントン中将だった。アントン中将は任務中は厳しい人だったが、任務が終わると温かい言葉をかけてくれる人で、どの部下にも分け隔て無く接してくれた。それにアントン中将が推薦してくれたおかげで、私は最短で将官に上り詰めることが出来た。彼の部隊に配属されていなければ、今日の私はなかっただろう。
   そのアントン中将の許、私ははじめての任務で他の部隊と一緒に行動することになった。その他の部隊というのがフォン・シェリング大将の部隊だった。佐官級の士官は全員、作戦遂行前に彼のご機嫌取りに行ったらしいが、私は行かなかった。旧領主家のフォン・シェリング大将という名前は知っていても興味は無かったし、旧領主だからというだけで何故彼を敬わなければならないのか、私には解らなかった。
   しかし挨拶にもいかなかった私をフォン・シェリング大将は眼を付け、以後、事あるごとに嫌がらせを受けた。彼の取り巻き連中が、酷く低俗な悪戯を仕掛けたこともある。

   そもそも私は軍人になりたくて士官学校に入った訳ではなかった。帝国大学に入学する予定だったのに、突然の学部閉鎖の憂き目に遭って、残された選択肢から士官学校上級士官コースの道を選んだだけのことだった。
   もし帝国大学が学部閉鎖を行っていなければ、私は今頃こんな場所には無縁の人間となっていただろう。そもそも国が救済策として用意していた上級士官コースの道は、あまりに突飛な選択肢だった。文学を勉強したくて受験した人間に、残された道は軍人しかないというのだから。
   一年待って私立大学に入学するという道もあった。それを選択しなかったのは、私立大学の学費があまりに高額であったためで、普通の家庭に生まれた私にはその道を選べる筈もなかった。就職する――といっても、特にこれといって手に職が無いから、就職口がすぐに見つかる筈も無い。消去法で士官学校への進学を決めた。
   士官学校に進めば軍人となるのは決まっている。上級士官コースなら少佐からスタート出来るし、佐官級ならそう待遇が悪いこともない――と、考えていたことも事実だ。
   まさか大将にまで出世し、長官となるとはあの当時考えもしなかったが。

   積極的にこの道を選んだ訳ではないが、それでもそれなりに有意義な時間を過ごせたと思っている。それに私は周囲の人々に恵まれていた。旧領主層だからというだけで威張る人間には決して頭を下げなかった私を、アントン中将が常に支えてくれ、昇級の機会を与えてもくれた。そのアントン中将が退役してからは、ロートリンゲン元帥が影ながら支えてくれた。
   フォン・シェリング大将は媚びへつらうことのない私を、少佐の時の一件以来、眼の敵としていた。准将に昇進してからも会議の招集をわざと私に伝えなかったり、資料を渡さなかったりと再三嫌がらせを行った。
   命を狙われるというのは、これまでのなかでも最悪な嫌がらせだが――。

   アントン中将は、フォン・シェリング大将からあからさまな嫌がらせを受ける私の身を常に案じてくれていた。もっと世の中を上手く渡れ――と忠告して貰ったこともある。同じ旧領主層でも、ロートリンゲン元帥は私のような存在に興味を持ってくれた。君のような人間が軍に増えたら良いのだがな――とも言っていた。
   元帥は私の昇級を何度も後押ししてくれた。長官となることが出来たのも元帥のおかげだろう。私はそれを意図して元帥と懇意にしていた訳ではないが、周囲の人間からはロートリンゲン家の支援を受けていると陰口を叩かれた。確かに元帥との実際の会話を見聞きしたことのない人間からすれば、そう見えたかもしれない。
   元帥が居なくなったら今度はその息子達だ――と口さがない言葉を言われたこともある。私がハインリヒや宰相――フェルディナントと親しいことに対して、後ろ指を差す者も多かった。

   だが、私は決して元帥の子息だからという理由で、彼等と親しい訳ではなかった。もしハインリヒや宰相がフォン・シェリング大将のような人間だったのなら、遠ざかっただろう。今頃言葉も交わしていなかったに違いない。
   ハインリヒや宰相が旧領主層であることを鼻にもかけない、却ってそれを憚るような人間であったからこそ、私はあの二人を気に入った。そして二人とも、ひとつの筋の通った考えをする人間で、それが道理に叶っていたから、私も二人を支援してきた。


   その二人が、道半ばにして帝国に裏切られた。
   今でも思う。もしハインリヒが海軍部長官のままで、フェルディナントが宰相であった時期が続いていたなら、十年後には帝国は変わっていただろう――と。二人ともそれだけの実力と才力を兼ね備えていた。

   私にはあの二人ほどの実力も才力も無い。二人を支えてやることしか出来なかった。
   そして二人が居ない今、私が出来ることはただひとつ。アクィナス刑務所に居る宰相を救い出すことだけだった。
   帝都を混乱させること――つまり、連合国軍に一刻も早く帝都に侵攻してもらうこと――、そしてもうひとつ、戦後処理のために兵力を温存しておくこと――。

   これは危険な賭けだった。連合国軍を指揮する者次第で犠牲者の数が変わってくる。捕虜を全て殺害されたとなれば、戦後処理どころの話ではなくなる。
   だが、連合国軍という存在が国際会議で認められたうえの存在だということを考慮すれば、捕虜を無闇に殺害することは無いだろう。そのようなことをすれば、各国から非難を受けることは間違いないのだから。

   それに指揮しているのはアンドリオティス長官だ。彼はフォン・シェリング大将とは違う。彼と正反対の性格で、どちらかといえば宰相に近しい考えをする人物だ。
   彼ならばきっと上手く取りはからってくれる――。

「失礼します。閣下、下に兵士ならびに下士官を全員集めました」
「解った。すぐ行く」


[2010.3.17]