動けるといっても、ルディの状態は作業が出来るような状態ではないことは明白だった。軽作業なら兎も角、今日は重労働で、大きな木材や鉄材を運んだり組み立てたりしなければならない。
   立っているのがやっとの状態で、そんな作業が出来る筈も無い。
   ルディをなるべく刑吏官の眼から離すよう、俺の背後に立たせる。エドガルやジル、クロードもルディを隠すように立つ。

   作業内容が伝えられるなか、やがて、地下一階の囚人達が二階の作業場に降りてきた。エドガルに医者はどの男だと問うと、エドガルも囚人達を眼で追って探していたところだった。一分ほど探していただろうか――あの男だ、とエドガルは老いた一人の男を指し示した。
   見たことの無い顔ではなかった。一度二度顔を見たことがある。医者だとは知らなかったが、彼が重い物を持つのに苦労していたところを手助けしたことがある。
「名前は?」
「それが思い出せなくてな。何とか……ベ……ベック?とか言う名前だったような気もするが……」
   刑吏官に睨まれて会話を中断すると、作業開始が告げられる。まずは大きな木材を組み立てなければならない。なるべくルディに負担がかからないように、しかし怠けているようには見えないように気を配った。俺ばかりでなく、ジルやクロード、他の囚人達もルディを庇った。


   地下二階の囚人達はルディに味方していた。クロードのように、ルディに刑吏官達からの暴力から庇ってもらった者も多い。威張る刑吏官達と対等に張り合うルディは、この刑務所にあっては稀な存在だった。
   だからこそこのような時はルディを庇う。旧領主層の出身にしては珍しく、性根の入った男だ――と囚人達はルディを評していた。

   作業を進めながら、何気なく医者だという男に近付く。男の方は俺に気付いて、以前手助けしてもらったな――と声をかけてきた。
「大したことじゃない。……唐突だが、医師免許を持ってるというのは本当か?」
「過去に持っていた。剥奪されてしまったが」
「良かった。実は少し診て貰いたい奴が居るんだ。……ええと、済まないが、あんた名前は?」
   刑吏官がぎろりと此方を見たので、話を一旦止めて作業に専念している振りをする。男もそれは心得ていたようで、知らぬ振りをして暫く作業を進めた。刑吏官の眼が放れて暫くしたところで、男はアドルフ・ベッカーだと名乗った。
「俺はアラン・ヴィーコ。よろしく。……で、診て貰いたい奴というのが……」
   部屋の片隅で作業を進めているジル達に視線を向けた時、ジルが此方を見て軽く首を振った。どうしたのか――ジルの周囲を見渡すと、背後でルディが蹲っているのが見えた。
   具合が悪くなったのだろう。刑吏官に見つからなければ良いが――。
   ジルやエドガルは作業をしながら、ルディの姿を巧みに隠していた。
「向こう側で蹲っている男が居る。あいつを診て貰いたいんだが……」
「薬も無ければ治療も出来んぞ」
「解っている。でも何処が悪いのかは解るだろう。それが解れば少しでも対処……」
   何を怠けている――と刑吏官の怒声が響き渡る。此方に向けて注意したのかと思ったが違う。刑吏官二人が部屋の奥へと向かう。
   まずい。ルディのことを気付かれた――。

「5163番!またお前か!」
   刑吏官はルディを庇おうとしたジルを突き飛ばし、ルディの頭を掴む。怠けずに仕事をしろ――と、刑吏官はルディを積み上げた木材に向けて投げ飛ばした。木材が音を立てて崩れていく。ルディは苦しそうに顔を歪めた。
「あんた眼が腐ってるのか?こんな具合悪そうにしている人間を突き飛ばすなんて、普通の人間じゃ出来ないよな」
   ジルが言い捨てる。刑吏官が今度はジルの襟首を掴む。
   ジルがわざと刑吏官の眼を引きつけていることはすぐに解った。その合間にエドガルがルディの身体を起こす。咳き込むルディの背を、エドガルが摩っていると、作業をしろ、と別の刑吏官が怒鳴る。

「……何故あの方が……こんなところに……」
   アドルフ・ベッカーはルディの方を凝と見つめて呟いた。
   もしかしたらこの男――。
「ルディを……、知っているのか……?」
「宰相閣下ではないか……。何故……そんな方が……」
「皇帝の不興を買ったらしい。昼食の時にでもあんたに診てもらいたかったが……。あの様子ではもう無理のようだな。牢に連れていってくる」
   立ち上がって、ルディの側に歩いて行く。5150番、作業をしろ、と刑吏官に怒鳴られたが、構わずルディの許に歩み寄った。
「作業続行は無理だろう。牢に連れて行ってくる」
   ルディに立て、と声を荒げる刑吏官に告げると、その刑吏官が俺の腕を掴んだ。
「5150番、勝手な真似は許さん」
「じゃあ、此処で看病出来るのか?あんたが」
「止せ……、アラン……」
   ルディが小さな声で言った。刑吏官の手を振り解き、ルディの側に屈む。良いから黙っていろ――と囁いて、その腕を担いで立ち上がる。刑吏官の方を振り返って言った。
「牢に行く許可をくれ」
「作業をしろを言っている!」
「俺はこいつを牢に連れて行ったら戻ってくる」
「判断するのは私達だ!お前達ではない」
「だったらこの状態を……」
   言い返しかけた時、誰かがルディの身体を下ろすよう告げた。誰だろうと思ったら、先程の男――アドルフ・ベッカーだった。
   ルディは既に意識を手放していた。ルディの身体をそっと下ろして彼に預けると、彼はすぐにルディの手首に触れた。
「5159番!勝手な真似をするな!」
「私は医者だ。このように苦しんでいる人間を放っておくことは出来ない」
   俺とジルが刑吏官の注意を引きつけておけば、その間、ルディを診てもらえる。刑吏官と押し問答をして、5発程殴られる。
   アドルフ・ベッカーは刑吏官に怒鳴られ引き剥がされるまでの間、ずっとルディを診察していた。ルディは意識を手放したままで、結局、俺が牢へと連れて戻ることになった。


[2010.3.13]